しんぶんろごしんぶんろご10月号  P1   P2   P3   P4   P5     バックナンバー   日本語TOP 

平和な心で出会いを

米国ハワイ州・アリゾナ記念館館長 ダグラス・A・レンツ

レンツ

レンツ館長は、世界連邦日本宗教委員会の招きで来日。8月7日に長崎市で行われた 「第33 回原爆殉難者慰霊祭」で慰霊の言葉を述べ、「不確実な今の世界だからこそ、平和な心で出会いを」と訴えた。

9月号 P2を参照

 毎年春になると開花する桜は、日本では人間の魂の象徴的なものとされています。つまり、長い年月にわたって日本の文化が変質をとげながらより良いものに高められていく、その象徴が桜の木であると聞いています。

 私はよく、アメリカの首都ワシントンにある桜の木が美しい花を咲かせ、春を告げる場面を思い浮かべます。そして日本からアメリカ合衆国へプレゼントされたこれらの桜は、首都ワシントンを訪れた多くの国民にどんなにか影響力を与えているのだろうと思いをめぐらせます。

櫻

ワシントンのポトマック河畔は桜の名所。明治45年に当時の尾崎行雄東京市長から贈られたのが始まり。日米友好のシンボルとして今日まで咲き続けている


国も文化も超えて

 私は昔から、自然というものに心を打たれ、歴史に興味をもってきました。

 私が所属しています「合衆国国立公園サービス」は、未来の人たちがいつまでも楽しみ学ぶことができる文化遺産や自然遺産を守る目的で、設立されました。そのようなところで働くのが私の夢であり、今、その夢が叶っているのです。

 アリゾナ記念館の館長となり私は多くのことを学びました、特に、ただ単に机に座って指示を出すだけが私の職務ではなく、それよりもアリゾナ記念館の価値を理解し、犠牲になった人たちについて理解を深めることがより重要な職務であることを学びました。

 そして、記念館はアメリカ国民の意識を向上させるのに重要な役割を果たしていることを知ったのです。記念館を訪れた人たちは、アメリカという国の力や弱さ、成功などを学び、触発されたり悲しみをおぼえたりするのです。心を動かされたり、怒りを感じたりするのです。このことは私たちが過去を理解するのに必要なことなのです。

 先の第2次世界大戦で私たちが経験した損害に匹敵するものはありません。しかし、すべての国が、すべての国民が、傷を癒していかなければならないのです。

 アリゾナ記念館という聖なる場所で私たち職員は、老若を問わず人々が記念館の存在を理解し、犠牲者に敬意を払うことができるようにと考え、日々業務に励んでいるのです。

 アリゾナ記念館は、国も文化も越えて、私たちの肉体や血や心をつなげる場所なのです。そして、今この不確実な世界では、私たちが平和な心で出会うことこそが大きな力となるのです。


許しと和解を

 第2次世界大戦の退役軍人でもある先代のブッシュ・アメリカ合衆国大統領は、パールハーバー攻撃50周年記念式典で、心に残るスピーチをされました。彼の言葉は私たちを激励するもので、和解に向かって私たちを大いに導びいてくれるものでした。彼は本日と同じような集会の中で話をしました、過去の出来事に敬意を表したかったのです。

 ブッシュ大統領は以下のように述べました。「今、私が何を感じているのかお話をさせてください。私はドイツ、日本に対して恨みという感情はありません、まったくないのです。そして、失ったものはあるけれども、あなた方の心にも恨みという感情がないことを希望しています」と大統領は演説しました。そして最後に述べました、「私たちは敵を友としたのです」

 私にも、皆さまと分かち合いたい「許し」と「和解」に関する思い出があります。


手をつなぐ日米の元兵士

 私が館長に就任してまだ1週間くらいしかたっていないある日のこと、以前お会いしたことのあるディック・フィスケさん(パールハーバー攻撃時の生存者の一人)が、私のオフィスに一人の日本人紳士を連れて来ました。

 ディックさんは、吉田次郎という名のその日本人を私に紹介しました。

 その時、吉田さんは新聞記事のコピーをくれました。その中の一枚には彼の写真が掲載されていました。言葉の障壁があり、私と吉田さんの会話は短いものでしたので、その時点ではこの紳士が誰なのかハッキリと理解できませんでした。

 ディックさんと吉田さんが帰ったので、私はすぐに受け取った新聞記事に目を通しました。そこで初めて吉田さんは日本海軍のパイロットであっただけでなく、パールハーバーを攻撃した戦闘機に乗っていたということを理解したのです。

 私は熱い感情がこみ上げてきました。つまり、攻撃された側と攻撃した側が手を携えて共に私に会いにきてくれたのです。

 私は館長に就任してから、また別のパールハーバー生存者を知りました。その人エヴェレット・ハイランドさんはアリゾナ記念館のボランティアをしています。彼はパールハーバーの攻撃で深い傷を負いました。そして兄弟は硫黄島で戦死しています。彼にとって第2次世界大戦の傷は深いものでしたが、エヴェレットさんは平和への意識を失うことはありませんでした。

 私は、エヴェレットさんがどのようにして心の傷をそんなにうまく自分の中で取り扱っているのかと思いましたが、実は彼には日本人の妻がいて、多くの日本文化を取り入れていることを、やがて知りました。

 事実、彼は一年のうち数週間をここ日本で過ごしているのです。ここ日本は一人の男性が多くのものを失った場所でもあり、同時に平和と和解を見い出した場所でもあるのです。


過去が未来への道しるべ

 この人たちの話はなんと素晴らしいものなのでしょう、彼らだけでなく私たちも、過去を乗り越え、許し合うことができ、自分自身の行動を通して他の人々に教えていくことができるのです。

 ですから本日、こうして海を渡って日本を訪れ、日米の和解を支持する私の姿勢を、行動で示せたことを、とても光栄に思っております。

 慰めと癒しを与えてくれる多くのメモリアルがあります。私はこのメモリアルの一つである、アリゾナ記念館をお預かりしていることを大いに誇りに思っています。私たちは過去を乗り越えた人々の話を語り継ぐことに誇りを持っています。

 最後に申し上げます。広島と長崎を忘れないでいましょう。第2次世界大戦を忘れないでいましょう。それよりもむしろ、敬意をもって、思い出し、心に映し出しましょう。そうすることで理解し合えるのです。この相互理解を通して、過去が未来への道しるべとなるのです。

 そして毎年春になれば、満開の桜を、その繊細な美しさを心に思い浮かべましょう。異なる国と国民が、桜の美しさと平和が同じものであるということに、どうやって気づくことができたのかということを考えてみましょう。

 犠牲者に敬意をささげることができ、この機会を与えていただきましたことにあらためて感謝申し上げます。そして両国間の友情と平和のためにごあいさつをさせていただけましたことに感謝申し上げます。ありがとうございました。  (訳/国際部・木村且哉)

アリゾナ記念館

パールハーバーは水深が浅く、日本軍の攻撃で沈没した戦艦アリゾナの上部は水面に姿を残した。その艦体の上に記念館は建てられた

前へ  次へ

バックナンバー

日本語TOP