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モンゴルセンターだより 1
山崎光男(人類愛善会事務局モンゴル担当) ノモンハン事件と日本人の歴史認識 |
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かつての激戦地に建てられた慰霊の地蔵と卒塔婆
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今年6月26日から約1週間、かつての激戦地ノモンハンを訪れる機会を得た。
この地で、今から66年前の昭和14年5月から9月にかけ、旧満州国を支配下に置く日本軍と、ソ連・モンゴル連合軍との国境紛争が勃発した。
一部資料によれば、日本軍の死傷者1万7千、ソ連軍2万5千、モンゴル軍5千とある。実際の真相は今も闇の中にあるが、結果として日本軍は近代的装備のソ連軍に敗北した。
この事実は当時、日本の軍部によって徹底的に隠された。今日の政治家が「あの愚かな戦争への反省を込めて」と言うならば、決して避けて通れないのが、後の大東亜戦争の戦略的無謀さをすでに示していた、「ノモンハン事件の真相」である。
モンゴルではこの紛争を「ハルハ河戦争」と呼んでいる。それは代々語り継がれ、今日でも多くの人々に強烈な印象を残している。現地へ案内してくれたモンゴル青年(30歳代)たちが語ってくれた、熱い言葉が今も印象的に残っている。青年たちは、ハルハ河戦争について、それぞれの見識を持ち、祖父たちから語り継がれてきた戦争体験についての話を、私に紹介してくれた。
私は、この事実に驚きを禁じ得なかった。私も含めた日本の戦後世代は、学校教育の中で明治時代以降の歴史、つまり近現代史について、あまり詳しく教えられていない。入試問題にほとんど取り上げられないからだ。自分の無知を受験勉強のせいにするのは恥ずかしいが、他国の人々から自らの歴史認識について問われたとき、困惑するしかない。日本人が歴史を教え学ぶのは、国民としてのアイデンティティーを自覚するためではなくて、受験で合格するための手段にすぎないのだ。
どこの国にとっても、歴史は大事であり、特に現代史ほど重要なものはない。その現代史について、これからの国民は一人一人が、自分なりの見識を持たなければ、日本人は「得体の知れない人々」というレッテルを貼られ、特にアジアの人々から軽蔑されてしまうだろう。
歴史は事実を記述することから始まる。その目的や意図は立場によってさまざまだろう。日本は将来に向けて、アジアの平和と相互理解を深めるために、多角的かつ客観的に歴史の事実を認識する、近隣諸国との合同作業を一歩でも前進させなければならない。私も、モンゴルの人々とともに、近現代における日本とアジア、世界との関係をとらえ直してみたい。
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