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モンゴル唱歌

ヒロシマの少女の折り鶴

ドーム

作詞:オホラン・インヘ
作曲:ダリザフ・ダッシニャム



少女が作った折り鶴を
病気の痛みを癒すため
多くの鶴を作るほど
命長らうと人は言う
千羽の折り鶴作ったら
苦しい病から救われる
ひと折りひと折り 折るほどに
鶴の祈りは育ちます



生きる望みは少女から
人類みんなへ育ちます
海越え 山越え 折り鶴は
少女の祈りを世界へと
「健やかさ 盗られてなるものか
一番大切なものだもの
戦争に 盗られてなるものか
世界は平和を求めます」



鶴はできたが 秋が来て
13の春が来る前に
少女は冷たい記念碑に燃える炎の記念碑に
少女が今際に祈ること
燃えることばは残ります
「こんなふうに消えるのは
わたしを最後にしておくれ
鶴よ 伝えて わたしの願い」
 



歌のモデルとなった少女 佐々木禎子(ささき さだこ)さんのこと

ドーム



広島の平和祈念公園にある「原爆の子の像」。像のモデルとなった佐々木禎子さんは、2歳の時に被爆。その後、元気に小学校6年生まで成長したが、白血病を発症。広島赤十字病院に入院し、8カ月の闘病の後、死亡した。闘病中、禎子さんは回復を願って鶴を折り続けていた。  
禎子さんの死をきっかけに、原爆の犠牲となった子供たちの慰霊と、世界平和を築くための像を作る運動が全国に広がり、昭和33年(1958)に完成。禎子さんと「原爆の子の像」についての話は、世界にも広がり、今も年間1千万羽にのぼる折り鶴が国内外から寄せられている。  
昭和52年(1977)、在モンゴルの日本人留学生から禎子さんについての話を知ったイヘン氏が作詞し、ダッシニャム氏が曲をつけ、54年(1979)に発表。日本では、平成2年に日本でデビューしたモンゴル人女性歌手・オユンナさんの歌で知られるようになった。

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