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臓器移植法改正にストップを

脳死は一律に人の死ではない
日本の宗教界に生まれた共通認識

(写真下)
昨年11月30日、東京・築地本願寺で開かれた 「第2回生命倫理シンポジウム―いま、臓器移植法改正問題を考える」(主催・日本宗教連盟)。
左から、パネリストの小松美彦、青木清、今岡達雄、斉藤泰、竹内弘道、今井克昌の各氏。
脳死を人の死とすることへの違和感は、日本の宗教者の間に根強い。

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 脳死臓器移植の推進を目的に、事実上「脳死は一律に人の死」とする内容の同法改正案が、 今年の国会で提出される可能性が高いという。

 一方、脳死への違和感が根強い日本の宗教界では、「脳死は一律に人の死とは言えない」 との共通認識が生まれている。

 昨年11月30日、日本宗教連盟は、第2回「宗教と生命倫理シンポジウム〜いま、 臓器移植法改正問題を考える」を東京で開催。各パネリストは自教団の公式見解を基に、 脳死と人の死、脳死移植を、今の時点でどうとらえているかを紹介した。



 日本宗教連盟は、教派神道連合会、全日本仏教会、日本キリスト教連合会、神社本庁、新日本宗教団体連合会の5団体で 構成される連絡組織で、日本の主な宗教・宗派を傘下に収めている。  1997年の臓器移植法の国会審議に当たり、慎重な審議を求める意見書を政府に提出した。 また、同年11月には、宗教界で脳死・臓器移植についての学習を進め、それを国民的議論にまで高めようと、 「脳死・臓器移植シンポジウム」を東京で開催。

 その後も5回にわたって生命倫理に関するシンポジウムを開いてきた。 昨年は臓器移植法改正問題をテーマに、2月と11月に連続のシンポジウムを開催した。


崩れた『定説』

 11月の第2回シンポジウムは島薗進東京大学教授(宗教学、日本宗教連盟理事)をコーディネーターに進められた。

 最初に、脳死を人の死とすることに強く反対している小松美彦東京海洋大学教授(科学史・生命倫理)が、 アメリカの医療現場における臓器摘出の実写ビデオ(NHKスペシャル『脳死』、1990年12月)を映写。 脳死の概念や判定基準の変遷を説明し、次のように語った。

 「脳死を人の死とする論拠は、脳死状態に陥ると人間の『有機的統合性』が失われ、やがて必ず死ぬという 理解にあった。

 有機的統合性とは、生命力を備えた人間が自然の中で生きられる能力の総体で、それは、全臓器、全組織、 60兆個の細胞が相互に関連することによって初めて生み出せる性質のもの。

 しかし、90年代以降、アメリカではこの論理への批判論文が多く現れてきた。 その典型は、4歳で脳死状態になり、その後21年も生きた患者の例で、脳だけが人体の有機的統合性を司っているのでは ないことが明らかになった」


不十分な脳研究

 続くパネリストは各教団の公式見解を基に、脳死と人の死、あるいは脳死移植について意見を述べた。

 元・日本生命倫理学会会長で、バチカン生命アカデミー会員である青木清上智大学名誉教授 (神経行動学・生命倫理)は、現在の脳死判定基準の古さなどを指摘。

 「国によって文化的背景も異なり、キリスト教、カトリック内でも見解は一つではないが、 私はカトリックの指針である教皇ヨハネ・パウロ2世の『いのちの福音』(95年)の考えを尊重したい。 科学者として脳死を死として受容し、愛の行為として臓器移植を肯定する。

 ただし、現在の古い脳死判定基準で脳死を人の死とするのは不十分。脳死については、 最新技術を用いてさらに研究が必要」と述べた。


日本の宗教文化を大切に

 今岡達雄浄土宗総合研究所専任研究員は「従来から社会通念として認められている三兆候死(心肺停止、呼吸停止、 瞳孔散大)をもって人間の死とし、脳死によって死の判定を望むケースのほかはこれを人間の死として認めない。 人の臓器を資源とみなすことに懸念を表明する。このような考え方を助長する可能性のある臓器移植は望ましくないもの と考える」と述べた。

 斉藤泰大本教学研鑽所研鑽室長は、「大本は一貫して『脳死は人の死ではない』と主張し、 臓器移植という野蛮な医療が不必要な社会の実現を訴えてきた。

 現行の臓器移植法は、本人の意思を尊重する意味で、脳死は人の死ではないことを世界で初めて認めた 法律で、世界で最も先進的な内容ともいいうる。同法の改悪には強く反対する」と述べた。

 竹内弘道曹洞宗総合研究センター宗学研究部門主任研究員は、「仏教・禅の視座からは、脳死を積極的に 支持する根拠は見当たらない。最終的判断は、さまざまな問題を知った上での個人の判断に任せるが、 私たちはあくまでも慎重派の立場。宗教教団には、広範な政治・経済・社会への関心と、その危険な流れを察知し、 警鐘を鳴らす役割がある。日本の宗教文化を守ることが大切だ」と語った。

 今井克昌立正佼成会中央学術研究所所長は政府あての提言(本年3月11日)から、 「脳死を一律に人の死とはしない。従来通りの三兆候死が最適と考える。臓器移植の場合は本人の意志を尊重し、 各人の死生観に委ねる。その場合も、本人の意思表示が必須条件」との見解を紹介した。


移植のための『与死』

 続く質疑応答の中で、小松教授は「宗教者の方々に考えていただきたい問題」として、脳死移植をめぐる最近の 日本の動向を紹介。

 「脳死移植は殺人に等しいが、最近では人体の医学利用推進のために、『殺』と『死』の中間に『与死』 という概念を置くことさえ提起されている(日本移植学会機関誌『移植』第40巻第2号)。

 これは、歴史上の『姥棄て』や戦時中の神風特攻隊のように、本人が認めれば、倫理的問題を問うことなく、 合法的に死を与えようという考えだが、同誌の編集後記はその論文を絶賛している」と、脳死移植推進の裏で、 人の死や生命の尊厳がますますないがしろにされている現実を訴えた。

 臓器移植法が改悪されるとすれば、生命軽視の風潮はますます助長されていくことになる。そうした中、 個人的意見ではなく、各教団の公式見解として、「『脳死は一律に人の死』とは言えない」という共通認識に至ったことは、 過去10年にわたる宗教界の継続作業の成果だ。日本宗教連盟では、臓器移植法の改正に慎重な対処を求め、今後も 「『脳死は一律に人の死』とは言えない」ことを、宗教界の声として政府と社会に強く訴えていく構えだ。

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