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愛善の光/
 自分を少しでも磨く

人類愛善会三代副総裁 出口日出麿(でぐち ひでまる)
(1897〜1991)

  走馬燈のように変わる世の中を見るにつけても、外的な名位寿富が頼むべきものでないことを知り、内的永遠性の名位寿富を得ることを望む心がいよいよ大切である。

 永遠は神に属す。神を知り、神を敬し、神にしたがう生活にして、はじめて永遠性を有する。信のない生活はついに砂上の楼閣におわる。しかも、信は祈願と実践とによってのみよく獲得することができる。

 祈願なるかな、実践なるかな、である。

 あちこちと行きづまってのち、はじめて神を呼び人を悟るのであり、失敗を重ねたあげくのはてに、しくじらないようになるのである。変わりかわった末に、もう変わらないようになるのである。

 いまの世の人たちは心が小さく、一時的な失敗を極度におそれ、一時的な外見を気にして、向上するために、当然踏まなければならない階段を経ることに躊躇してしている人ばかりである。もう少し変節の度数が足らないのである。

 瞬間的なこと、局部的なものにのみ執着して、永遠的なこと、大局的なものに目をつけることを忘れている人ばかりである。

 しかし、この理由の一つは、現代人が、全然、物質界にのみ堕して霊界の存在を忘れ、死後の個性的存続、霊魂の永遠性ということにまで気がついていないからである。

     ○

 人間は無限に進歩し達悟すべきものであって、自己の得たすべては、そのまま霊界へ持ち越していくのである。

 よいものを得た人は死んでのちよいところにおり、悪いものを得た人は死んでのち悪いところにいる。これは単に、行為そのもののみについていうのではなく、学問でも思想でも技芸でも習慣でも、その他いっさいについて、「身に得た」ものはそうなのである。

 だから人は、この世においては一日といえども無駄に時を費やしてはならない。つねに何ものかを得ることに努力すべきである。とくに精神的な悟り、すなわち、広くふかい知恵と、すべてを救い助ける慈悲とを得ることに、もっとも力をいれるべきである。そのほかのことは貧しくても、これだけを豊富に得てさえおれば、死後、極楽に行けることは請け合いである。

 なぜなれば、人が死後、地獄へいき極楽へいくということは、これまったく、相応の理にもとづくのであって、自分の心が濁り迷っているために、自然、濁りや迷いの世界へいくのであり、自分の心が清く澄み透っておれば、したがって当然、清く澄み透った世界へ吸い寄せられるのである。このように、その人の心の程度にしたがって、その心とまったく同じ色彩の世界へいくまでのことである。

 だから人は、現世にある間も常に直霊(良心)に省みて、自分を少しでも、よりよく磨いておくべきである






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