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●「ヒロシマの少女の折り鶴」を訪ねて平和公園へ●

モンゴル人から見たヒロシマ

言葉にできない原爆の惨禍


photo  2月25日午前、モンゴルセンターの一行は広島市の平和記念公園を訪れ、平和記念資料館などを見学した。平和公園にある「原爆の子の像」のモデルとなった少女・佐々木禎子さんの実話は、モンゴルでは唱歌「ヒロシマの少女の折り鶴」によって、広く知られている。

 一行は畑口實館長の案内で館内の展示を見学。その印象についてツェデンダンバ会長は次のように語った。

 「今回、私は初めて広島を訪問し原爆資料館を見学しました。原爆の残酷さについては、今までモンゴルでも聞いたり、本で読んで知ってはいました。しかし、今日は展示されている資料を自分の目で確かめて、私たちの想像を絶することが、本当にこの町で起こったのだと、骨身に染みるほど理解でき、一生忘れることはできないでしょう。

 資料館で私たちは、いわば過去の出来事を見ているわけですが、それだけでも言葉を失い、当時被爆した方々、亡くなられた方々、今も生きておられる方々の痛みを感じ、言葉にならないほど複雑な気持ちになりました。ましてや原爆が投下された当時、実際に被爆した方々や一般国民の心の中にはもっと、言葉では表現できないお気持ちがあったと思います。

 ご案内くださった畑口館長さまも、お父様を原爆で亡くされたとのことで、そのご遺品も展示してありました。それを目にしたとき私は、どうしてよいか分からなくなりました。

 もし全人類一人ひとりがここを訪れることができるならば、世界平和が実現するまでの時間は、きっと短縮されるに違いないと思います。ヒロシマの悲劇を決して繰り返してはなりません」

 また、バトツェレグ副会長は、日本の世界連邦運動の原点の地に立ち、「核兵器は一般市民ではなく、莫大な資金を持った支配層によって生み出される。そういう世界を変えるための平和運動が必要な時代です」と印象を語った。

 バトバヤル事務局長は「ぜひもう一度資料館を訪れ、じっくりと平和について考えたいと思います」と語った。  

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(写真上)佐々木禎子さんが遺した小さな折り鶴に見入る。左端は畑口實館長

 



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(写真上)
「原爆の子の像」と「ヒロシマの少女の折り鶴」のモデルとなった佐々木禎子さん。
 2歳の時に被爆。元気に成長したが、10年後に白血病を発症。禎子さんは回復を祈って、 8カ月の闘病中「千羽鶴」を折り続けたが死亡。中学一年生だった。



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(写真上)「原爆の子の像」の前で



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(写真上)原爆供養塔前での祈り



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(写真上)国内外から寄せられた平和の折り鶴の前で



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