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『主張』

日本でも死刑の廃止を

 昨年10月、杉浦正健法務大臣は就任会見で、 「死刑執行命令書への署名を拒否する」旨を発言。その後撤回し、物議をかもした。同大臣は仏教徒(浄土真宗大谷派) で、発言の背景には「どんな理由があっても、人の命を奪ってはならない」という、信仰的信条があったことが 報じられた。

 現在、世界の122カ国がすでに法律上、あるいは事実上死刑を廃止。明らかに世界の潮流は死刑廃止の 方向にある中で、日本、アメリカ、中国などは今でも執行を続けている。

 日本でも1989年11月から1993年3月までの3年4カ月間は死刑執行停止期間であったが、1993年3月に 後藤田法務大臣(宮沢内閣)が死刑執行を再開。以来、毎年数名の死刑が執行されており、現在、83名の死刑確定者 (今年3月28日現在)が、いつ執行命令が下されるか分からない恐怖と戦っている。

 1995年に起きた「オウム事件」以降も、国内では凶悪犯罪が増え続け、国民は恐れと怒りをもって 犯人を憎み、死刑執行は当然だという意識となって、国内世論に蔓延。「死刑やむなし」と考える人も多い。

 こうした世論を背景に、最高裁判所は近年、死刑判決の数を増やしている。この傾向は2001年の 池田小学校事件以降さらに高まり、2004年には15人、2005年には11人の死刑が確定。今年に入ってからも、 すでに5人に最高裁から死刑判決が下された。

 「死刑は犯罪の抑止力となる」と存置派は言う。しかし、本来、刑罰の目的は「応報」ではなく 「教育」であることは、近代刑法の基本理念として広く受け入れられている。 死刑は教育による遷善改化の途を閉ざしてしまう。さらに、凶悪犯罪者といえども、 その生命の尊厳は守られなければならない。

 死刑執行は裏返せば、「条件さえ整えば、法律の名の下に『殺人を犯してもよい』」ということになり、 ますます生命の尊厳を傷つけることとなる。

 また、犯罪被害者の救済についても、死刑によって満たされるものでもない。

 そして、国家が合法的に「人が人の生命を奪う」ことを許す現状を、子供たちはどう受け止めるで あろうか。若年層の間でも、ますます生命軽視の風潮が加速していくのではないか。

 出口王仁三郎初代総裁が説いた、「人類愛善の精神」とは、人群万類をつつむ愛であって、 人はもちろんのこと、禽獣虫魚、草木石土にいたるまで、万物を愛することである。それはあらゆる宗教に通じる、 愛や慈悲の心でもある。万人がこの精神に立ち帰らないかぎり、犯罪はこの世からなくならない。

 日本では2003年、死刑廃止に賛同する宗教教団・宗教者による「『死刑を止めよう』宗教者ネットワーク」 が発足。法曹界と協力し、宗教精神を基礎に置いた死刑廃止活動を進めている。 人類愛善会もその発足当初から参加しているが、生命軽視の風潮が強まる社会状況の中、 今後もより積極的にその活動に取り組んでいきたい。    



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