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愛善の光/
 「ありがたい」と思う心

人類愛善会三代副総裁 出口日出麿(でぐち ひでまる)
(1897〜1991)

 どんな場合でも、「ありがたい」と思う心、これは神に近づく第一歩である。

 「神第一」の念慮でみちみちている人は、すなわち、つねに神とともにあるのだ。

 嫉妬と憤懣と疑惑のあるところ、断じて光明も歓喜も平和もあり得ない。

 この明らかな理を知悉しながら、ついに改めることのできない人たちは、もはや、もはや、どうしようもない。


 いつもありがたく、うれしい気持ちでいるのが信仰の要諦だ。

 何事もおかげだ、と善意に解さなければならない。


 天地いっさいに対する恩ということを、しみじみと知らなければならない。真に心の底からこのことがわかってくれば、人なり物なりを損うということはできない。いっさいをそれぞれに活かしてやるということがわかる。どんな微細なものに対しても、 『ありがたい』『ご苦労だ』という気持ちが起きる。自己直接の利害にばかり気をとられて、どうしても、大局的に、天地いっさいに対するご恩報じ、ご奉公ということが忘れがちになる。

 すべてのものに感謝し、心からの好意をよせて、これを取り扱うようにしなければならない。

 自分というものが、どれほど天地いっさいからご厄介になっているかということを、よくよく会得しなければならない。

 自己が天国に籍をおくときは、周囲いっさいが善意にしか映じない。他を恨んだり、呪ったり、ねたんだりする間は、どんな才能が力があり、権勢があり声望があっても、断じて、その人は天国に籍をおいている人ではない。

 このことは、自分自身を内省するうえにももっとも正確な標準となるから、つねに怠らず、自分で自分を監視し、自分で自分と角力をとっているべきである。


 一心ほど恐ろしいものはない。人間同士でも、一心はおそろしい。

 ことに一心が神さまに通じたときほど恐ろしいものはない。それは、どんなお力でももらえ、どんなことでもできるようになるからである。


 外交も、最後は信仰と胆力と人格だ。言葉や身振りや術策ではない。


 神を信じる者はよく忍び、神を信じる者はよく進む。信のないところには生命も力もない。

 日に面してさえいれば、ガラス玉でも光り輝いている。箱の中におかれていては、金剛石でも光はない。


 真に神を信じる者は、真に神を相手としてのみ行動している。ゆえに、どんな場合にでも感謝があり、希望があり、安心がある。

 けれども神を信じない者は、つねに自己の利害を基本としてのみ行動している。ゆえに、おうおうつまずき、焦慮し、絶望する。

 世に神を信じると称している人々は多いが、真に神を信じている人は少ない。



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