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尊厳死をどう考えるべきか
教団付置研究所懇話会・第4回「生命倫理研究部会」から 求められる宗教的な見解 (写真下)曹洞宗檀信徒会館(東京グランドホテル)を 会場に開かれた、教団付置研究所懇話会の第4回生命倫理研究部会。同懇話会は2002年に16教団の参加で発足したが、教えの学び合いや社会問題への関心は高く、その後参加教団も増え、現在23教団に増えた
科学技術、医療技術の発達が、私たちの死生観を大きく変えようとしている。 脳死臓器移植を始めとする不自然な医療行為に、戸惑いや違和感を感じる人は多く、 賛否の議論は尽きない。 こうした、『新たな死生観』をめぐる議論の一つに、「尊厳死」がある。 7月4日に東京で開かれた、教団付置研究所懇話会の第4回生命倫理研究部会では、この問題に詳しく、 尊厳死の法制化には反対の立場を取る、小松美彦東京海洋大学教授(科学史・生命倫理学)を招き、 尊厳死をどう考えるべきか意見を交した。 「教団付置研究所懇話会」は、各宗教教団が教えを研さんする目的で設けている研究部門や組織が、宗教・宗派の枠を超えて研究交流を行うことを目的に、2002年10月に発足。現在23教団が参加しており、専門部会として設けられた生命倫理研究部会は、今回で4回目の開催を数え、複数の教団から自教団の「生命観」についての発題の後、尊厳死について取り上げた。 尊厳死とは『人間らしい生を全うした上での、尊厳ある死』を意味するが、重い病気で治療回復見込みのない末期状態を迎えた場合、無理な延命治療を拒否し、自然な死を選ぶことに、尊厳死という言葉が用いられることが多い。 しかし、国内外ともに尊厳死に対する解釈は一様でない。延命治療の解除や未実施といった消極的安楽死を「尊厳死」とするすう勢の中、アメリカ(オレゴン州)における医師による「自殺ほう助」が「尊厳死」と翻訳されるなど、定義上の境界線も曖昧なため、それに関係した医師が刑事責任を問われるケースもある。 こうした事情を背景に、日本でも法的に尊厳死の定義やその容認範囲を決めようと、「尊厳死法」を制定する動きと、それに反対する動きが活発になっている。 むずかしい判断 尊厳死問題と最もしばしば結びつけて語られるのが、「スパゲティ症候群」と呼ばれる状態の、終末期を迎えた入院患者だ。こうした患者は延命のためのあらゆる装置と体がチューブでつながれ、ベッドに横たわっている。こうした状態での延命とは、 いわば『死の先延ばし』でもあり、積極的な延命処置を止めた段階で死が訪れる。 ここで、さまざまな問題や考えが浮上する。例えば、スパゲティ症候群の患者は、尊厳ある生を保たれていると言えるのかどうか。本人の生前の意思表示があったとしても、延命治療の中止は、医師による殺人にはならないのかどうか。治療を続ければ、高額の医療費負担が家族に発生する。他にも入院治療を待つ患者がいる。何を基準に、延命治療を停止すべき時期と判断するのか、などなどだ。 実感を持って議論を 現在の尊厳死法案の中では、3カ月以上の植物状態の患者も尊厳死を認める対象(厚生労働省検討会)とされているという。
小松教授(写真左)は「脳死の議論と同様に尊厳死についても、観念的な議論ではなく、生身の肉体を持った人間をめぐる問題として、実感を持って議論することが大事だ」と訴え、
1992年に放映されたNHKスペシャル「あなたの声が聞きたい―『植物人間』生還へのチャレンジ」の一部を映写。
番組には、植物状態の患者の治療を積極的に行っている日本のある病院で、実際に植物状態から脱した患者や、その対極の立場として、「植物状態の患者も死者と定義されるなら、臓器摘出をしてもよい」と主張するアメリカの生命倫理学者が登場していた。 小松教授はまた、「従来、植物状態は意識が無いものとみなされてきたが、意識が無いのではなく、外部に自分の意思を伝えられない、コミュニケーション障害に過ぎない可能性が高い」と、植物状態の人を尊厳死の対象とすることに大きな問題があることを指摘。また、「残念なことに、日本でも植物状態の患者の生命は軽んじられ、切り捨てられる方向にある。しかし、命がある限り人間には尊厳があり、どんな状態になれば尊厳がなくなり、命を奪ってよいなどとは言えないはず。それを法律やガイドラインで決めるのはおかしい」と述べた。 さらに「臓器移植法がそうだったように、尊厳死法もいったん制定されれば、その運用や改正は甘い方向に流れる。尊厳死の基準を法制化することは、特定の傷病者の死に方を合法化することであり、経済的な合理性を優先させて人の命を切り捨てることになる。そこでも『自己決定権』という言葉が市民を誘導する。こうした流れの背景には、命の価値に優劣をつけて選別する優生思想や、人体を資源として利用しようという市場経済の動きがある」と指摘。 最後に「尊厳死法制化の動きはすでに、日本の社会をかなり危険な状況に追い込んでいる。皆さまにはその現実をよく理解していただき、宗教者としてどう行動すべきか考えてほしい」と訴えた。 宗教的視点で提言を 講演後の質疑応答において、尊厳死法の骨子案に触れられている『植物状態』の定義について質問があり、植物状態の定義自体がそもそも千差万別で、何をもって植物状態とするのか議論の余地があることが判明。 また、「科学・医学と宗教では、議論がかみ合わない部分もある。各宗教は、近代科学導入以前の、宗祖の教えや、心身を通して感得してきた教えに立ち返り、生と死の問題を考え、発言すべきではないか」との意見があった。 尊厳死を考える宗教者の作業はまだ始まったばかりだが、科学技術の先行がさまざまな問題を起こしている今、尊厳死問題についても、国民に広く情報提供を行い、宗教者として何らかの提言が行われることが期待されている。 バックナンバー |