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『主張』 世界連邦を教育の基本理念に |
教育基本法の改正をめぐり、「道徳」と並び、「愛国心」を日本の教育の中でどう教えるかが、議論の的となっている。
戦前の日本では、天皇制に基づく「国体(国の体制)の尊厳」が至上のものとされた。そこでは、国民は主権者の天皇や国家に奉仕すべき立場にあるとされ、「公」を優先して生きることが尊重され、「個人」は軽視された。教育現場でも「教育勅語」によって、「滅私奉公」の精神や「愛国心」が教えられた。
戦後はその反動で、新たに制定した教育基本法も、「公(おおやけ)」よりも、「個人の尊厳」や「個人の価値」の尊重に重きを置いた。「個人」と「公」がどちらも重要なのは論を待たないが、日本の戦後社会は、「個人」を優先して考えるあまり、「公共」を軽視しがちであった。
そして「個の尊重」への偏りは、戦後の自由主義と相まって、長上を尊ぶなどの道徳的な規範意識は薄れ、親と子、先生と生徒は対等という考えが一般化し、わがまま、身勝手な風潮が社会にまん延したことも事実である。
中央教育審議会は2003年、教育基本法改正をめぐる答申の中で、「『公共』の精神、道徳心」「日本の伝統・文化の尊重」「郷土や国を愛する心」などの理念を盛り込むのが適当、とした。
もともと、自然や風土、そこに生きる人々への愛着から生まれる「国を愛する心」は、人々の自然な気持ちであり、何ら否定すべきものでない。
しかし、「個」と「公」の関係が明確になっていないため、「愛国心」を教育現場で十分に教えることができないのが現状である。教育現場では、国家への愛着と誇りを故意に忘れさせようとする教育が浸透し、その結果、日の丸掲揚も、君が代斉唱も敬遠されてきた。「愛国心」という言葉は、個人を犠牲にした戦前の国家主義のイメージが強く、戦前への回帰を警戒させるからだ。
「国」についても教育基本法は「民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献」と定義している。しかし、過去の戦争では、「国のため」「正義のため」という大義名分の下に、多くの国民の生命が犠牲にされてきた。
「個」と「公」の関係について、出口日出麿人類愛善会三代副総裁は次のように述べている。
「真の個人主義とは、天から特に自己に賦与された職能を、できるかぎり完全に発揮することである。(中略)真の共栄主義とは、できるかぎり、他をして、その特能を発揮させるようにつとめることである。(中略)自己を尊重敬愛するとともに、同様、他を尊重し敬愛するのが真の個人主義であり、また共栄主義である」(『生きがいの探求』(天声社刊) この共栄主義は、国際社会における、国と国との関係にも当てはまる。
昨年8月、衆議院で世界初の「世界連邦国会決議」が採択された。真の共栄主義と恒久平和を実現させる仕組みが、「世界連邦」である。その精神を、教育基本法の理念の核とすべきである。これによって初めて、素直に「国を愛する心」と共に、「他国を敬愛する心」も教えることができよう。
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