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愛善の光/
 精神的に得ること

人類愛善会三代副総裁 出口日出麿(でぐち ひでまる)
(1897〜1991)

 金銭は物質の代表である。ゆえに、精神と相対立している。

 今までの日本人のように、頭から金銭をいやしむ考えはよくない。といって、精神を忘れて金銭そのものだけを追求してはならない。

 もらったものには義務はつかないが、借りたものは、払うことによってのみ決済することができる。わずかなお金でも、最初「貸せ」といって得たのなら返さねばならぬ。莫大なお金でも、最初「くれ」といって得たのなら、もらったことによって解決はついてしまっている。そのあとには、何ものも残っていない。

 なんでもないことのようであるが、こういうことには気をつけなければならない。それは、人は物質そのものより、精神そのものを根本とするからである。

 若い人などのなかには「君のものはおれのもの」というような考えのものがあるが、これは悪い。自他の区別は、あくまでも厳重にしなければならない。そののちに、互いに助け合うということにしなければならない。自他の区別をなくしたら、独立の人格はなくなり、ひと色の無にかえってしまう。

 いつまでたっても、金持ちと貧乏人とは相対して世にあるのだ。それは、当然の理法によっているのだから、どうにもしかたがない。ただ、世がうつり変わるにしたがって、この当然の理法がうつり変わっていくまでである。あるときは、武力の強いもの、すなわち貴く富める人であった。つぎには、知恵ある人、すなわち貴く富める人であった。そのつぎには、人格ある人、すなわち貴く富める人であるというふうに。



   人間はけっして、この短い生涯だけを唯一のものとして楽しむために、この世に生まれてきたのではない。この世はあの世のための学校だ、修業所だ、苗代だ、準備室だ。すこしでも悟るところがあったら、それでよいのである。伴われぬ物質をため込んでみたところで詮もない。大いにその物質を利用して、精神的に一つでもより多くのことを得なければならない。つかまなければならない。

 よく道を歩く者は、またよくつまずくのだ、靴もよくへるのだ、いろいろと旅の辛さも感じるのだ。しかしながら、つねに進むことを心がけている者は、つねに進むのだ。より多くつまずいた者は、より多くつまずかないようになるのだ。見ねば見えず、つかまねば握れず、一度、コツンと頭を打ってみないと、堅い程度はわからない。

 世の中のことは、なんでもかでも、やってみなければ合点がいかない。合点がいかねば魂の進歩はない。何ごとでも腹の底から、なるほどと、われとわが身に合点するまでは、だれでも思う存分したい放題をやってみればよいのだ。

 ただし、これには相当な胆力というものがなくてはならない。すぐにへこたれて、行きたし怖しという矛盾におちいってしまいがちだからである。

 どんなめに会っても心をみださず、よく、ものの神髄を会得し、その過失を二度とくり返さないよう、しだいしだいに世界というものを悟っていくべきである。



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