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モンゴルセンターだより 12 松田達夫(人類愛善会総本部事務局次長) 聖山・アルタンオボーに登る |
(写真下)早朝、聖山アルタンオボーの山頂からのながめ
この秋、児童支援の学用品を届けるためにモンゴルの東南部を訪れた。その道中、スフバートル県ダリガンガ村の近くにある、聖山・アルタンオボーを訪れた。この聖山は、モンゴルが国家として崇拝する五つの聖なるものの一つ。モンゴル人なら誰もが一生に一度は訪れてみたいと願い、崇敬する聖地だと聞いた。
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愛善の光
人類愛善会三代総裁 出口直日(でぐち なおひ)
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社会に支えられた自分
むかしの人は、今の人よりも、一般に貧しい暮らしに耐えてきています。そして、今のように道徳について、
やかましくいわれたわけではありませんが、それぞれに身を修めてきたものです。
むかしのお母さんたちの、一般は無智で、あまり学問をしていなかったにもかかわらず、
その時代の子どものほうが、いまどきの子どもより、礼儀についても案外よく身につけています。
今の教育は、どちらかというと、批判力をつける点ではすぐれていますが、その批判はおおむね他に対してで、自分を批判する力を与える点では欠けているように思われます。
人間は自分に対しては甘くできていて、自分の都合のよいように考えるもので、それだけにこの欠点がおぎなわれなくては、どこまでいっても世の中は、みなが平安な気持ちで楽しくすごせるということは、ちょっと、望めなくなってしまいます。
みなが自分の判断で、勝手なことをしたのでは、理屈の上ではわかっても、人間には感情というものがあります、それが先に立ち、トゲトゲしておもしろくない気持ちが自然と生じます。
ことに、お互いが自分の正しいことを主張したり、それぞれの権利ばかりを主張してゆけばしまいにはどうなるでしょう。みなが気持ちよく暮らしてゆきたいにもかかわらず、それではお互いが地獄を作りあっているようなものでしょう。
やはり、他を批判すると同時に、自己を批判し、反省することによって、自己をささえてくれている社会環境を、よりよく育てようとする考えが指導されなければなりません。
たとえば、古来伝えられてきた謙譲の徳というようなことも、改めて考えてみるべきではないでしょうか。
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