愛善の光
好意をもって
人間は、こちらに愛情があれば、相手に少々わるいところがあっても、案外気にならないものです。
その時のコツというか、呼吸というか、そういう経験を、
よくとらえておいて、どんな人にも、ひそかな好意をもってゆきたいと思います。
これは、とりもなおさず、世の中を住みよくするのに大切な要素のようです。
また、自分の思うことを主張するのであれば、人のいうところも、理解しなければと思います。
○
人がきて、なにげなく話していくことのなかに、
ふだん気づいていないことを教えられることがあります。
それは、自分と関連のない話のようであっても、なにかの意味をもっていることがあります。
意味なく人がきて、意味なく話していくということは、
ほんとうは、ありえないことではないかと私は思います。
人がなにげなく話していることのなかに、天の声がさしはさまれているかもしれません。
めんどうでも、さっそく実行しなければならない場合もありましょう。
かりに徒労におわっても、その徒労がありがたいこともありましょう。
また、直接に自分と関連のないことであっても、
自分の関係するある人には緊急を要することかもしれません。
そんな場合、天の声は自分を仲立ちとして、その人に伝えられることがあります。
いずれにしても、人は謙虚でうかつでさえなければ、
なにかの方法で思わぬしあわせをいただくものではないかと思います。
○
お互いに、立場のあることを忘れ、他に対して、狭量であったきらいがあります。
そうした欠陥の、もっとも反省すべきことは、
自分を修めることにおろそかで、他人のことに関心をもちすぎていたことです。
人には、長所もあれば欠点もあります。はじめは人の長所が目につき、
そのうちだんだん欠点が目についてくると、
はじめの長所までも欠点で包んでしまうことが人間にはありがちのようです。
人の欠点が目につきだしたときには、
その人の長所までも包みこまないように心を広くしてかかることが必要です。
また、Aにはその人がとやかく見えても、
Bにはそうではないことがあります。
そのように人間には、万人に向く人ということは、
ないものと考えても、さしつかえないようです。
とやかくいわれている人でも、別の人には感謝され親しまれているのが事実です。
ものごとは広く見て、
なるべくその人のよいところを見忘れないようにしてゆくことではないかと思います。
出口日出麿・著 天声社・刊 『生きがいの探究』から
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