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『主張』 感恩・鍛練・順序の教育を |
子供たちの間に広がる陰湿な「いじめ」をなくすため、さまざまな試みがなされているが、なかなか効果的な方策が見つからないようだ。
日本でいじめが大きな社会問題として取り上げられるようになったのは、今から 年以上前のことだった。昭和 年頃をピークとして、報告される件数は減少してきたものの、いじめは一般化・潜在化し、加害者の犯罪行為や被害者の自殺などを引き起こし、質的にはこれまで以上に深刻化している。
子供たちがいじめに走るようになった背景には、核家族化や地域共同体の崩壊、希薄になった社会や家族の人間関係がある。子どもたちの遊び場も消え、「子ども社会」も失われた。その一方で、仮想の世界で遊ぶゲーム機器、電子メールや携帯電話などの普及によって、実感を伴う対人関係がますます薄れていく。ゆがんだ人間関係の中で、いじめが増えてきた。
社会全体が貧しかった時代は、皆が生きるために一生懸命であり、お互いに助け合い、我慢をしながら生活していた。ところが、社会が物的に豊かで便利になるに従い?甘え?の教育が浸透して、子どもは自己中心的となり、他人の気持ちを理解することが難しくなってきた。
そんな教育の中で、「自らを鍛え、我慢する」忍耐力に欠け、さらに、物事の全体を読みとることが下手で、小さいことを過大に受け止めるなど、いじめ行動につながる要素を持つ子どもが多くなってきた。
教育は「知育」「徳育」「体育」の三要素から成ると言われるが、精神面を育てる徳育を忘れ、知育を偏重した教育が、戦後長く続けられてきた結果が、いじめや暴力を起こす状態を招いた。
ゆがんだ子供の心を矯正し、いじめをなくすには、第一に、お互いに好意を持つことができる、「感恩」の心を培うことが必要である。感恩とは、周囲から自分が受けているさまざまな愛やありがたさを感じ、その恩に報いる心である。さらには、生きとし生けるものは、神仏の愛によって生かされていることを知ることでもある。
第二に、精神的なたくましさ、強さを養うことだ。自らを鍛える「鍛練」は苦しみだけでなく楽しみの源になる。また、鍛練に欠ける甘えの教育は感恩の情を養うことができず、子供は何に対しても?ありがた味?を持たなくなる。
第三に、人、物の「順序」を教えることだ。そうしないと、子供は自分と他人との相対関係がわからず、礼儀を欠いたり、自惚れたり、高慢となる。自己中心の考えに陥ってしまう。
結局、いじめをなくすには、学校・家庭・社会が連携して「感恩(情)・鍛錬(意)・順序(知)」を教える教育を徹底していくことが必要だ。
こうした考え方は、経済発展中心で、合理性や効率性の追求を重視する中で、いわば古い価値観として、社会や家庭、教育の中で軽視されてきた。子供のいじめや暴力は、戦後日本が模範としてきたアメリカをはじめ、世界的に問題になった、?先進国病?ともいえる。
「徳育を忘れて智育におぼれたる報いは地上の乱れとなりけり」(出口王仁三郎)。子供だけではない。今日の世の中、大人社会もまた、感恩・鍛練・順序を心がけ、修練し直さなければならない。
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