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廣瀬名誉会長本葬 2月10日 亀岡で

各界から1300人が参列 人柄と業績に尽きぬ賛辞

遺志を継いで世界平和の実現を

photo  出口紅総裁(大本教主)の実父である廣瀬靜水人類愛善会名誉会長 (大本総長)が1月17日、肝硬変のため京都市内の病院で逝去。享年83歳だった。2月10日、名誉会長の本葬は、 大本本部・人類愛善会の合同葬として、亀岡市(京都府)の大本本部万祥殿で執行され、 宗教界をはじめ、政財界、世界連邦運動関係者、市民団体、大本・人類愛善会など、幅広い分野から1300人が参列した。

 廣瀬名誉会長は、人類愛善会創立の5日前の1925(大正 )年6月4日、京都府綾部市の生まれ。 最晩年まで広く国内外を舞台に、大本が説く「人類愛善・万教同根」の理想に基づく平和運動、宗教協力に力を注ぎ、 リーダーシップを発揮した。その生涯はまさに、人類愛善会80余年の歴史と共にあった。

 日本宗教連盟代表として弔辞を述べた庭野日鑛立正佼成会会長(同連盟理事)は、「重要なお立場におられながらも、廣瀬先生は決して偉ぶるようなことなく、常にこまやかなご配慮をなさり、我が教団、我が連合体優先ということもなく、日本及び世界の宗教界全体に大きく広く目を開いておられました。内なる力、つまり信仰が深まれば深まるほど、外に対しては温かく、穏やかで、静かになる。私たちが目指すべき平和な人としてのあるべき姿を、廣瀬先生は身をもってお示しくださった」と語った。

 教派神道連合会を代表して弔辞を述べた芳村正徳神習教教主は、「献身的に活動される先生のそのお姿から多くの人々が、愛を、良心を、寛容さを、平和と対話の大切さを、忍耐を、努力を、そして、宗教者のあるべき姿を学んだことでしょう。今、先生の示されたお道を教派を超えて、絶やすことなく更に大きな流れに発展させていかなければならないことを痛感しております」と述べた。

 また、植木光教世界連邦推進日本協議会会長は、「私たち世界連邦運動の先頭に立ってご尽力され、 平和な世界、愛に満ちた人類社会をつくろうと多大な貢献をしてこられました。一昨年8月2日の衆議院本会議における 『世界連邦実現のため最大限の努力を政府に要請する』世界初の国会決議成立に際しては、大きな推進力となってご活動くださいました」と世界連邦運動での功績をたたえた。

 廣瀬名誉会長は、『平和実現をモンゴルからアジアへ、アジアから世界へ』との出口王仁三郎初代総裁の 世界平和構想の実現に努力。2004年6月、出口紅総裁はじめ信徒・会員ら180人が参加した「モンゴル訪問団」には、 車イスで参加。人類愛善会創立80周年を迎えた翌05年6月、ウランバートルに人類愛善会モンゴルセンターを 同国政府公認NGОとして設立した。

 本葬には同センターからサムダン・ツェデンダンバ会長(モンゴル国大統領首席補佐官)も参列。 「廣瀬先生がモンゴルの地に植えられた『愛善の木』を、しっかりと成長させ、花を咲かせ、実を結ばせていく、 まことに尊い任務を、私はもとより、人類愛善会モンゴルセンターに集う人たちが心を込めて果たしていく重責を、強く感じております。その尊いご遺志を全力で遂行させていただきますことを、総長の御霊、またご遺族をはじめ、本日ここにお集まりの皆さまのみ前で、お誓い申し上げます」と述べた。

 本葬に寄せられた弔電の総数は304本。各界来賓代表による弔辞は、 廣瀬名誉会長の人柄と業績に寄せる追慕と賛辞にあふれ、玉串奉呈に参拝者の長蛇の列が続いた。 参列者は、大本信仰と人類愛善運動一筋に生きた廣瀬名誉会長との別れを惜しみつつ、 名誉会長の遺志を継いで今後も世界平和実現に向けて努力することを霊前に誓い合った。

photo (写真)
廣瀬静水(ひろせ・やすみ)。1925(大正14)年6月4日、京都府綾部市に生まれる。 旧制福知山中学校を卒業後、陸軍士官学校、同志社大学神学部、同法学部政治学科に学ぶ。大本本部に奉職し、 53(昭和28)年11月、出口直日大本三代教主(人類愛善会三代総裁)の次女・麻子氏と結婚。大本本部では、 大本大道場長、教学委員長、総務責任役員、参議などの要職を歴任。2002(平成14)年、大本総長に就任。 人類愛善会会長を75(昭和50)年から82(昭和57)年、88(昭和63)年から95(平成7)年まで務め、 96(平成8年)からは同名誉会長を務めた。宗教界では、日本宗教連盟理事長、世界連邦日本宗教委員会委員長などの 重責を担い、人類の和解と世界平和実現のため、国内外で広く宗教間の対話と協力を推し進めた。

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