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愛善の光
人類愛善会三代総裁 出口 直日(でぐち・なおひ 1902‐1990)
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教育私見2
『こころの帖』(天声社刊)より
社会をよりよく育てる考えを
むかしの人は、今の人よりも、一般に貧しい暮らしに堪えてきています。そして、今のように道徳について、やかましくいわれたわけではありませんが、それぞれに身を修めてきたものです。むかしのお母さんたちの、一般は無知で、あまり学問もしていなかったにもかかわらず、その時代の子どものほうが、いまどきの子どもより、礼儀についても案外によく身につけています。
今日、道徳教育がやかましくいわれ、それについて、むかしの修身科の復活ではこまるという声があります。なるほど、むかしのままの修身科ではどうかと思いますが、ただ高い教育理想ばかりを考えているのでは、教育者としてどうかと思われます。
それが教育理論としては正しくても、日本の場合、はたして、その教育を受けるだけの地盤が築かれているのでしょうか。それらの実際は、私などの言葉をはさむべきことではないかもしれませんが、まだ耕されていない石ころ地に、よい種を蒔いたとて、よき実りをのぞむことが困難なように、私の眼には、今の日本の教育地盤は、まだ修身科によって改良されなければならないように思われます。
もちろん、その内容が問題ではありますが、歴史教育とともに、修身科は日本の教育から除くことのできない要素ではないかと思います。
ある新聞に連載されている説に、こんなところがありました。
―お父さんが子どもに「水を汲んで風呂をたいてくれ」といいつけたが、子どもは「ハイ」といって勉強していました。お父さんはむかしの「長上のいいつけは何事も反抗せずに聞くように」という教育をうけた人ですから、子どもがそのまま勉強しているのがおもしろくないようです。しかし子どもは、今の教育をうけているので、ジッと考えた上でのことでありました。「これから、二時間は勉強しなければならない。その二時間の勉強が終わってから水を汲み、風呂をたいても、充分に間に合うのだ」、子どもはそういう見通しのもとに、平然と勉強しているのです。ここに親と子の間に、くいちがいができています―
ここだけを読んだ私の感じでは、お父さんのほうも考えなければなりませんが、子どものほうにも考えなければならないものがあるように思われたのです。
子どもの考え方は、今の教育をうけて、進んでいましょう。子どもは自分で考え、しかも筋の通った判断をくだしていましょう。それは理にかなったものでしょう。けれども、この子どもの考え方のなかに、もう一つたりないものがありはしないでしょうか。
それは、子どもは、はたして独立した一個の人間であるかということを考えておかなければならないということです。子どもは、家庭というものに支えられて存在しているのです。子どもは父や母や上の人々にいたわられて、人間として成長しているものです。このことを考え「自分はまだ一人前ではない」ということが、気持ちの底になければなりません。
その気持ちがあれば、父の言葉に対して「ハイ」と素直に聞くことができますと同時に、そのときに自分の理智で見通しえたこと、そのまま自分のひとりぎめにしておくのでなく、自分の考えを父に話して、父の諒解をうけるだけの態度がおのずから生まれてくるはずです(もちろん親のほうにも、それを聞いてやるだけの寛容がなければなりません)。子どもには、自分の判断を父にきいてみるだけの、子どもらしい気持ちがそなわってくるはずです。
子どものとった知恵の働きは満点でしょうが、自分の立場ということを忘れており、子どもらしい情において欠けているのではないでしょうか。
今の教育は、どちらかというと、批判力をつける点ではすぐれていますが、その批判はおおむね他に対してで、自分を批判する力を与える点では欠けているように思われます。
人間は自分に対していては甘くできていて、自分の都合のよいように考えるもので、それだけにこの欠点がおぎなわれなくては、どこまでいっても世の中は、みなが平安な気持ちで楽しくすごせるということは、ちょっと、望めなくなってしまいます。
みなが自分の判断で、勝手なことをしたのでは、理屈の上では分かっても、人間には感情というものがあります、それが先に立ち、トゲトゲしておもしろくない気持ちが自然と生じます。
ことに、お互いが自分の正しいことを主張したり、それぞれの権利ばかりを主張してゆけば、しまいにはどうなるでしょう。みなが気持ちよく暮らしてゆきたいのにもかかわらず、それではお互いが地獄を作りあっているようなものでしょう。
やはり、他を批判すると同時に、自己を批判し、反省することによって、自己をささえてくれている社会環境を、よりよく育てようとする考えが指導されなければなりません。
たとえば、古来伝えられてきた謙譲の徳というようなことも、改めて考えてみるべきではないでしょうか。
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