愛善の光
人間自身の努力で
現界(この世)は造られつつあるとともに、またつくりつつある。
自分は神から、社会から、両親からつくられ育てられつつあるとともに、
また自分が主となって、新しい生命を造りつつあるのである。
こんな汚れきった世の中が、
一朝一夕に澄みきってしまうものと思ってはならない。
しかし、絶望してはならない、完成は宇宙の意志であるから。
世の中をよくする、たった一つのものがある。
それは「好意」である。
そうだ、すべてのものに、心からの好意を持たなければならない。
善意からする偽悪は、悪意からする偽善に、どれほどまさるか知れない。
私のあやぶむところは、はたして、これが真の神意かどうかということだけだ。
おおそうだ、愛は無限だ。
他人にやさしい言葉をあたえるために、わたしの言葉は貧弱にはならない。
他人に好意を寄せるために、わたしの好意は減るものではない。
たがいに争い、たがいに憎み、たがいに恨み合っていて、この世が、いつのときか平和になろう。
目に見える神は人間だ。
人間自身の努力によらないで、この世に幸福がどこからこよう。
真すなわち美であり、美すなわち愛であり、愛すなわち善である。
この四つは一貫している。真でないものは美しくなく、
美しくないものは愛がなく、愛がなければ善でないのである。
美は真の発露であり、善は愛の発露である。
そして、愛善は真美の発露である。
ゆえに、ある意味においては、真すなわちすべてであるといいうる。
出口日出麿・著 天声社・刊 『生きがいの探究』から
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