愛善の光
希望は生命の発動機
春から秋へと一足飛びにはいかない。
一から三へいたるには、どうしても二を経ねばならない。
すべてこの世の出来事で、このプロセス(過程)を無視することは絶対にできない。
ただ、その時その時の遅速の度があるだけである。
この世が理想へ近づくにしても、一足飛びにはいたり得るものではない。
個人が幸福、円満になるにしても、またそうである。
この一歩一歩を忘れて、目ばかり高所につけて、世を呪い人をののしって、
悶々としてばかりいてはならない。
目に会った人でなくては、深刻にものごとを考えない。だから、悟れない。
外的、内的逆境は必然的な神の試練である。
今まで長い間、よい人が苦しんだのは、修養させられたのだ。
だれでも自分で、一度苦しんでみねば、他人のことがわからぬからだ。
苦しむための苦しみでなく、悟るための苦しみなのだ。ただそれだけだ。
人の心を改造しないで、どうしてこの世が改造できよう。
希望は生命の発動機である。人生に希望がなくなっては、"万事休す"である。
何かの希望に生きていなくては、真に生きているのではなくて、死んでいるのと同様である。
浮世の名利を希望するのは普通のことであるが、
だれでも、真に世を渡りつくした人は、もはや浮世的な名利を希望するのではなく、
真の心の落ち着きを希望するようになる。
真の心の落ち着きは、神に根ざさなくてはならない。
神は一つであるが、その説き方、それを説く人によってそれぞれ変わってくる。
出口日出麿・著 天声社・刊 『生きがいの探究』から
|