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☆愛と慈悲に基づく"和解と許し"を
 /比叡山宗教サミット20周年記念「世界宗教者平和の祈りの集い」
「比叡山メッセージ2007」として世界にアピール

 広島とボスニア・ヘルツェゴビナの子ら招き交流



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「比叡山宗教サミット 周年記念『世界宗教者平和の祈りの集い』」 (主催・日本宗教代表者会議)が8月3・4の両日、 「和解と協力―宗教・民族・国境を越えて―」をテーマに、 京都国際会館と比叡山延暦寺を会場に開催され、 海外18カ国・25人の諸宗教代表者を含む2千人が参加した。

 初日は午後1時半から国立京都国際会館で開会式典。 続いて、バチカン諸宗教対話評議会議長のポール・プーパール枢機卿 (代読・フェリックス・マチャド同議会次長)と イスラム問題・寄進・宣教・善導省イスラム問題審議官のアブドゥラー・アルレヘダン氏が記念講演。 続いて今大会のテーマに沿ってシンポジウムを開催した。

 二日目は、フォーラム1「諸宗教間の対話と協力―紛争和解から平和構築のために―」と フォーラム2「自然の和解と共生―宗教者は地球環境保全のために何ができるか―」を開催。 午後3時から比叡山延暦寺根本中堂前広場で、 「世界平和祈りの式典」を執行。 最後に「比叡山メッセージ2007」を発表。愛と慈悲に基づく「和解と許し」によって、 初めて平和がもたらされるとの確信に立ち、平和実現に向け、 諸宗教間の相互理解と協力に一層まい進することを誓った。

(写真左)「世界平和祈りの式典」で登壇した国内外の宗教代表。 式典は鹿子木旦夫人類愛善会副会長の総合司会で進められた (8月4日、比叡山延暦寺で)

(写真右)開会式典前のオープニングでは、 ボスニアと広島の子供たちが平和への思いを託して描いた絵とメッセージを披露。 それらは、夜の歓迎レセプションで主催者の日本宗教代表者会議に渡された。
写真は子供たちの絵を受け取る出口紅大本教主(同会議名誉顧問、人類愛善会総裁)と 白柳誠一カトリック枢機卿(同会議名誉顧問)

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 また、今回のサミットには、1990年代激しい内戦の舞台となった ボスニア・ヘルツェゴビナ(旧ユーゴスラビア)と被爆都市・広島から4人ずつ少女たちが招かれ、 交流行事を通して友情を育んだ。
 ボスニアから招かれたのは、 かつて敵対した民族同士の交流と和解を進める共同農園 「ボスニア・コミュニティー・ガーデン」で暮らす子供たち。 特別ゲストとしてシンポジウムで発言した同農園のダヴォリン・ブルジャノヴィッチ氏は、 「和解のプロセスは困難で、非常に長い時間がかかります。 でも、私たちは、子供たちがこの先ずっと平和に暮らしていけるよう、 希望の種を蒔きたいと願っているのです」と述べた。
 また、ボスニアの子供と交流した広島の久保村滋子さんは、 「通訳はなくても、一緒に折り紙をおることで、心が通じると感じました。 また、相手をもっと深く知るためには、エスペラントのような共通語を習うことも大切だと思いました」と話していた。

(写真)日本とボスニアの少女たちは、 折り紙、お手玉、あやとり、バレーボールなどで交流。 友情を育んだ。ボスニアの少女の一人は、「初めて会っているのに、親しみを感じた。 自分たちと変わらないし、会えてうれしかった」と語っていた



★★比叡山メッセージ 2007★★


 比叡山宗教サミット20周年を迎えるに当たり、 世界のすべての人々に心からのメッセージを送りたいと思う。
 今このかけがいのない“生命の惑星”地球は、 現代人の様々な暴力によって人類史上空前の危機に瀕している。

 2001年9月11日、米国で引き起こされた同時多発テロは、 それを象徴的に示すものであった。 以来世界各地でテロが続発、多くの無辜の市民が理不尽に次々と尊い生命を奪われるだけでなく、 その流れは一向に止まるところを知らない。 一方、国際社会がテロに目を奪われている間に、アフリカでは国家の名において堂々と虐殺が行われ、 それが見過ごされている。 さらには核兵器の拡散がこれらの暴力を助長するようなことになれば、 人類の未来は暗転するであろう。 広島、長崎の原爆投下による悲劇が、それを如実に物語っている。

 そして人間の営みは、さらに環境問題においても一層深刻な事態を招いている。 地球の温暖化は、地球上のすべての生命に死を与えかねない重大な影響をもつものである。 今そのことを真剣に考えなければ、取り返しのつかないことになろう。

 われわれが、直面しているこれらの問題を考えるとき、 その暴力の原因はわれわれ自身に行きつくことを知らなければならない。
 先進国や石油産出国でのテロが大きく報道され、 発展途上国における殺戮が無視されている状況は、 近代社会がいつの間にか、 神仏にかわって経済至上主義を最高の規範としていることの証左であろう。 その結果、人々が物の豊かさを平等に享受するのではなく、 富の偏在と差別の増長を生むことになってしまった。 このゆがんだ状況は、富を得るための暴力だけでなく、 差別を乗り越える手段としての暴力を顕在化させ、 貧困や抑圧に苦しむ人々への暴力への共感すら得るものになっている。 その結果、殺傷と憎悪の連鎖を生み出すというさらに深刻な状況に至ってしまった。
 そのうえ、民族と宗教の違いは、敵と味方を峻別する装置に追いやられ、 対立を激化させる役割を課せられているのである。

 1987年8月、われわれは比叡山において、宗教サミットを開催し、共に世界平和を祈った。 これは宗教の違いが紛争の激化を煽ったという過去に対する深い反省に基づくものである。 一方宗教者自身が、閉鎖的であり、宗教が異なることによって対立し、 あるいはお互いに敬意をもてないのであれば、 それは自らの信仰に忠実でないばかりか、人々を誤って導くことに気がついたからである。
 以来20年の歳月が流れる中で、 日本の宗教者は宗教の垣根を越えて、国際的な平和の祈りを集いを共催し、 宗教間の対話と協力関係を深めてきた。さらに世界各地でも、 諸宗教間の相互理解は着実に進められ、 共に平和のために祈り、紛争解決や難民の支援などに汗を流してきた。

 ところが、今日の状況を見ると、 われわれの努力がいまだ足らざることを率直に認めざるを得ない。 そこでわれわれは決意を新たにして、さらに訴え続けるものである。
 宗教そのものは本来対立すべき存在でないこと、 さらに「対立と憎悪」からは、解決の道が決して生まれないことを知るべきである。 一方、神仏の名の下に紛争を起こしたり、続けることに対し、われわれは強く抗議する。
 そして、対立は相手を力によって倒すことではなく、 対話を通じた相互理解を深めることによって、 解決の糸口が見つけられるものである。 それゆえわれわれは愛と慈悲に基づく「和解と許し」によってこそ、 初めて平和がもたらされることを強く確信する。
 われわれはこのことを、改めてイラクをはじめ、 紛争の当事者となっている人々に訴えたい。
 さらにわれわれは、一人ひとりが地球温暖化防止のための、 ささやかなりとも行動を始めることを呼びかけるものである。

 しかし平和への道は嶮しい。 そこでわれわれは、平和のために一層働くことを誓うと共に、 われわれの願いが必ずや、 世界の多くの人々の心を通じて、神仏に聞き届けられることを切に祈る。



2007年8月4日
世界宗教者平和の祈りの集い参加者一同

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