誰にでもわかるパレスチナ問題(その1)
「パレスチナ紛争、何が問題なのか?」 エルサレム市街 筆者撮影
NPO法人大本イスラエル・パレスチナ平和研究所
主任研究員 矢野裕巳
(その1)
(その2)
(その3)
(その4)
(その5)
(その6)
(その7)
(その8)
(その9)
(その10)
(その11)
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(その60)
(その61)
(その62)
(その63)
(その64)
(その65)
新聞、ラジオ、テレビ等で最近毎日のように耳にし、
目にするパレスチナ問題、現代のイラクの紛争も、
根本原因はパレスチナ問題にあると言う報道を聞かれた人もあると思います。
それでは、パレスチナ紛争とは何なのか?また、一体なにが問題なのかを数回にわけて考えてみます。まずは、
おおまかに古代から現代までの歴史を考えてみましょう。
ユダヤ人はパレスチナ(イスラエル)に紀元前1000年ごろ、今から、3000年程前に王政をしきました。
そして、ダビデ王、ソロモン王の約80年間に最盛期をむかえます。皆様の中にも、ダビデ、ソロモンという名は
聞いた事のある方が多いとおもいます。共に旧約聖書にあらわれる人物で、2人にまつわる数々の面白い話が残さ
れていますが、今回は、ダビデは首都をヘブロンからエルサレムに移した人物、ソロモンは壮大な第一神殿を建て
た人物と覚えておいて下さい。
この、ダビデ、ソロモンの古代イスラエル王国絶頂期のあと、王国は2つに分かれ
ます。北のイスラエル王国と南のユダ王国です。北はまもなく、アッシリアに滅ぼされます。南はしばらく続き、
やがて、バビロニアに滅ぼされユダヤ人は奴隷として連れていかれます。のちに、エルサレム帰還をゆるされ、
第2神殿の再建を始めます。その後、周辺諸国による征服、また、それに対する反乱を繰り返し、一時王政を
復活させます。
紀元70年ロ-マによりエルサレムの第2神殿が破壊されユダヤ人の離散がはじまります。これ以後1948年までの
およそ1900年間、ユダヤ人は自分達の国をもつことはなかったのです。ユダヤ人が世界に散っていた1900年の間
パレスチナ(現在のイスラエルが存在している土地)には当然ユダヤ人以外の人達が住んできました。
もちろんユダヤ人のなかにも離散せず、そのままパレスチナに住み続けた人も少数存在しましたが、人口割合としては
小さいものです。
一言で言えば、パレスチナ紛争とは、四国よりやや広い、パレスチナという現在イスラエルが存在している土地を
めぐる領土問題です。2000年近い年月のあと、かつて、自分達の先祖が暮らしていたと思われる土地に移り住んで
きたユダヤ人と以前から暮らしていたパレスチナ人との土地争いということです。
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