コラム一覧へ   TOP 


誰にでもわかるパレスチナ問題(その12)

NPO法人大本イスラエル・パレスチナ平和研究所
主任研究員 矢野裕巳

  (その1)   (その2)   (その3)   (その4)   (その5)   (その6)   (その7)   (その8)   (その9)   (その10)

(その11)    (その12)   (その13)   (その14)   (その15)   (その16)   (その17)   (その18)   (その19)   (その20)

  (その21)   (その22)   (その23)   (その24)   (その25)   (その26)   (その27)   (その28)   (その29)    (その30)


  (その31)   (その32)   (その33) (その34) (その35)    (その36)   (その37)   (その38)   (その39)    (その40)


  (その41)   (その42)   (その43) (その44) (その45) (その46) (その47) (その48)   (その49)   (その50) (その51)


(その52) (その53) (その54) (その55) (その56) (その57)    (その58)   (その59) (その60)


(その61) (その62) (その63) (その64) (その65)

「湾岸戦争とパレスチナリンケ-ジ」

パレスチナ人の投石に対しイスラエルは逮捕、拷問、家屋の破壊をおこないました。1987年だけでパレスチナ人 25000人が逮捕、400人が死亡、5000人以上が負傷しました。 それでも抵抗の火は消える事なく、イスラエルの占領政策を苦しめます。パレスチナ人の石による抵抗以上に イスラエルを追い込んだのは、世界のメディアでした。
犠牲者がいくら出ても石だけで、完全武装したイスラエル兵士に立ちむかうパレスチナ人の映像が世界中で報道 されました。占領地の住民を弾圧し続けるイスラエル。その占領に断固として抵抗する勇敢なパレスチナ人。 すべての人がそう感じたわけではありませんが、パレスチナ人の民族自決を拒絶する占領者であり弾圧者という イスラエルのイメージを世界の一部に与えた事は確かでした。

インティファーダーが始まって以来のマスコミ攻撃からイスラエルを救ったのは皮肉にもイラクのサダム・フセイン 大統領でした。
湾岸戦争によってマスコミの注意が占領地からそれたのでした。
1990年8月2日、イラクは、クウェートが歴史的にイラク領であると主張して、クウェートに侵攻。ペルシャ湾岸 でのこの戦争は当初イスラエルとは無関係であると考えられていました。ところが、クウェ-ト侵攻への欧米の対決 姿勢に対してサダム・フセインはパレスチナ問題を持ち出してきました。国際世論はクウェートからの撤退を求めた 国連決議を守るようイラクに圧力をかけました。これに対してイラクは、イスラエルの占領地撤退を求めた国連決議を なぜイスラエルに要求しないのかと主張。
これは『パレスチナリンケージ』と呼ばれ、あたかもパレスチナ問題解決のためイラクはクウェートを占領したかの ような議論を繰り広げていきました。

しかし、8月2日の侵攻直前までのイラクの対クウェ-ト交渉でパレスチナ問題を一言も述べてない点を考えても サダム・フセインがパレスチナ問題を真剣に考えていたとは考えられません。反イラク勢力の分団を計るため、 どうしてもイスラエルを戦争に引きずり込みたかったのでした。国際社会の大半はこのイラクの主張は問題の摺り 替えとして、受け入れず、イラクの無条件撤退をもとめ、結果として、1991年1月湾岸戦争突入となりました。

ただパレスチナ人の間ではフセインの人気は高かったのです。1967年(第3次中東戦争)のアラブの大敗北後も イスラエルに対して強い態度でのぞむフセインに対して親近感を抱いていたのかもしれません。
目先の『反イスラエル』との文言に惑わされたアラファトはイラクのクウェ-ト侵攻直後バグダッド入りします。 この時アラファトとフセインが親密に抱き合う映像が世界のメディアに放映され、PLOのイラク支持が鮮明になり ました。戦後、それまでPLOに好意的だったサウジアラビアや湾岸諸国からの援助は打ち切られ、またPLO の主要 財源であったクウェートのパレスチナ人からの税収も完全にストップしてしまいます。
アラファトの政治的決断の誤りが招いた結果だといえるでしょう。

一方、イスラエルは執拗なイラクの挑発に乗ることなく、イラクからイスラエルに打ちこまれたミサイル39発にも 報復を自重します。結果、戦後アメリカから膨大な援助が引き出されます。 アメリカは、開戦前にはイラクの『パレスチナリンケージ』を別問題としていたのですが、湾岸戦争後この問題解決を 目指し、アメリカを中心として中東和平国際会議の実現へと動き始めます。

※このサイトに掲載されている文章、写真などの無断転載・ 無断複製を禁じます。

前へ  次へ

TOP