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誰にでもわかるパレスチナ問題(その14)

NPO法人大本イスラエル・パレスチナ平和研究所
主任研究員 矢野裕巳

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「イスラエル極右勢力とパレスチナ過激派」

 前回にも述べたように、オスロ合意以降、急速に進むパレスチナ和平に対して反対す る勢力は、イスラエル側、パレスチナ側にも大きく表れます。
ユダヤ人がユダヤ人を殺 害したという事実。平和促進派の指導者であり現職のラビン首相を失ったという悲しみ に加えて、パレスチナとの共存を望むユダヤ人に大きなショックを与えました。

マイケ ル・ライナー博士(大本で一年間滞在したルース嬢のお父さんで、2000年の綾部、 エルサレム友好宣言調印実現の協力者)は当時を振り返り、『あんな悲しい事はなかっ た。幾度もアラブと戦火を交え、初めてこの地に平和が訪れるという希望が粉々になり ました。暗殺の後、私は生まれて初めて神の存在に疑問を覚え、しばらくはシナゴーグ (ユダヤ教礼拝堂)に背をむけていました。』と筆者に語ってくれました。

筆者の友人の中にも、1995年11月4日の夜、和平推進派のテルアビブ平和集会で、 『平和の歌』を歌い終えた直後、和平反対派青年のピストルの弾がラビン首相の 心臓と『平和の歌』の歌詞カードをつらぬいた場面を目撃した人が数人います。彼等もま た、ライナー博士と同じように当時の絶望感を語ってくれました。

はたして、ラビン首相暗殺犯イガール・アミールはどのような人物で、どのような考えで 暗殺におよんだのでしょうか?
アミールに代表されるイスラエル極右勢力の考えは 次のようなものです。
『カナン、つまりパレスチナは神がユダヤ人に与えられた約束の 地である。だからこの地をすべてユダヤ化する事は神の意志にかなうものである。』 このような考えを持つ彼らには、パレスチナ人との共存を前提に、ガザだけでなく、 ヨルダン川西岸のエリコにパレスチナ自治権を与えようとするラビン首相の考えを受け 入れる事は到底できないことでした。

ラビン首相暗殺に続き、和平推進ムードを大きく揺るがす事件が今度はパレスチナ過激派 によって引き起こされました。1996年2月5日から1週間の間にテルアビブ 、 エルサレムを中心に数回、対ユダヤ人自爆テロが起り60名以上の死亡者が出ました。 連続自爆テロを引き起こしたパレスチナ過激派はパレスチナ全土からのイスラエルの撤退を 要求しています。

イスラエル極右勢力とパレスチナ過激派。共に和平反対勢力であり、実際に彼らの思惑どおり、 2つの民族の共存への道は遠のいていきました。
1996年5月29日に行われたイスラエル総選挙において、リクード党党首ベンヤミン・ネタニヤフが 政権を取りました。無差別テロからの治安回復を旗印に政権奪取しましたが、ネタニアフ首相は オスロ合意に反する政策を進め、パレスチナとの和平プロセスは大きく後退していくのです。


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