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誰にでもわかるパレスチナ問題(その15)

NPO法人大本イスラエル・パレスチナ平和研究所
主任研究員 矢野裕巳

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「ユダヤ人が2人いれば政党が3つできる」

 イスラエルは2大政党であるリクードと労働党、その他多数の政党が群立し、いずれ の政党も過半数の議席を獲得できず、つねに連立内閣で政府は成り立っています。 ユダヤ人の自己主張の強さを説明する時、『ユダヤ人が2人いれば3つの考えが存在 する』や『ユダヤ人が2人いれば3つの政党が成立する』という比喩がよくつかわれ ます。

私自身の体験から卑近な例を示せば、数年前テルアビブでイスラエル人と日本人のグ ループでお茶を飲みに行きました。15名程で日本人は私をいれて4~5名でした。 ウエイターが注文を取りに来ました。10名程のイスラエル人はほとんどが、違った ものを注文していました。翻って、日本人のグループは注文する前に、となりの日本 人に『何にする?』と聞き、『そしたら私もそれにする』というような会話があり、 全員が同じものを注文しました。海外での事なので日本国内では多少事情が違うかも しれませんが、日本でもよく聞かれる会話ではないでしょうか?このエピソードがユ ダヤ人の自己主張の強さを示す好例とは思いませんが、自分の欲しいもの注文するの に他人の意見に傾ける態度を理解する事は彼等には出来ないでしょう。

1996年5月リクード党からベンジャミン・ネタニヤフが首相に当選しました。 2大政党の1つリクード党はパレスチナ人の領土獲得の欲望をできるだけ押さえ込み、 ヨルダン川西岸をイスラエルが完全に支配しその元でパレスチナ人に自治を認めると いう基本姿勢をもっています。もう一方の労働党はユダヤ国家とパレスチナ人の地域 を分離し、パレスチナとの和平によって共存を実現しようとする考えです。 別の言い方をすれば、労働党は『土地と平和の交換』つまり1967年の第3次中東 戦争で占領した土地から撤退し、アラブのイスラエル承認を勝ち取るという政策です。 対するリクードから当選したネタネヤフ首相は 『平和と平和の交換』を提唱。イス ラエルは占領地からの撤退は行なわないが、アラブ側はイスラエルを承認、平和条約 を結ぶというものです。

対パレスチナに対する安全保障の基本的なアプローチの違いであって、単純に、労働 党が平和の政党でリクード党はそうではないとは言い切れません。実際に自国の安全 が脅かされた時には群立する小政党を含め2大政党も一致団結して実力行使、多くの 場合先制攻撃によって防御するというのが、イスラエル政府の方針です。

ただ、ネタニヤフ首相の『平和と平和の交換』では、対アラブ和平プロセスが進展す る事はありませんでした。ネタネヤフ首相に関する未公開のエピソードを1つ紹介し ます。

1976年、エールフランス旅客機がパレスチナゲリラにハイジャクされ、ゲリラは ユダヤ人以外を解放し、アフリカのウガンダエンテビ空港へ着陸。ゲリラの要求はイ スラエルの収監されているパレスチナ政治犯の釈放でした。訓練を重ねたイスラエル 特殊部隊の働きでゲリラ全員を射殺。この事件は後にエンテベの奇跡としてハリウッ ドで映画化されました。この快挙のなか救出部隊にただ1人の犠牲者がありました。 ゲリラ側の弾丸に倒れたのは、隊長であるヨナタン、ネタニエフ氏、ネタネヤフ首相 の実弟でありました。

 前回にも紹介したマイケル・ライナー博士とベンジャミン・ネタニエフ首相は米国留 学時代からの大の仲良しで、日本流にいう御神酒徳利(いつも一緒にいる仲のよい2 人)でした。共にイスラエルの将来を背負う雄弁家として知られていました。

photo  特殊部隊がイスラエルに凱旋帰国し、国民に大喝采の中迎えられた夜、マイケル青年 は、悲しみに涙するベンジャミンに1つの提案をします。当時はまだ独身であったマ イケル青年は将来自分が結婚して男の子が生まれたらヨナタン(ジョナサン)という 名前をつけ、家族のようにつきあう事を約束したのでした。その約束通り、結婚し、 長男が誕生すると、迷う事なくヨナタンと命名、そのヨナタンは幼児の時からネタニ ヤフ首相と文通を続けたのでした。労働党支持で、和平推進派の中心であるライネル 家は現在ではネタニヤフ家との関係は疎遠になっていますが、エンテベの栄光の陰に このようなエピソードが存在した事も事実なのです。

 そのヨナタンが27才となった今(写真上)でもパレスチナ問題は大きな課題としてさまざまな 紛争の火種となっています。


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