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誰にでもわかるパレスチナ問題(その23) 

NPO法人大本イスラエル・パレスチナ平和研究所
主任研究員 矢野裕巳

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分離壁そしてアラファトの死


 2003年8月1日、成田空港で別れた綾部プロジェクト参加者との再会は2005 年4月11日、東エルサレムのアムバサドールホテルで実現します。

 この間、パレス チナ情勢は必ずしも平和への明るい方向ばかりではありません。イスラエルによる分 離壁の建設とアラファト議長の死去について考えてみましょう。

       

ヨルダン川西岸の壁

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 2002年6月、シャロン首相はヨルダン川西岸に『壁』(写真左/2005年4月10日・筆者撮影) の建設を指示しました。 『壁』はイスラエルサイドからは『安全保障のためのフェンス』と位置づけられ、物 理的な障害を設ける事でパレスチナからのテロ行為を防止するとの見解で、始まりま した。

 パレスチナサイドからは、『アパルトヘイトウオール』であり、この壁により、 自分達が限られた居住区に押し込まれてしまうと恐れているのです。分離フェンスは 全長700キロにわたり計画され、ユダヤ人入植地をイスラエル側に取り組むため、 そのルートは西岸の内部に大きく食い込む形になっています。パレスチナ側の『治安 を口実に真のイスラエルのねらいは土地収奪が狙いである』という主張の根拠になっ ています。ユダヤ人入植地を取り囲むように建設された巨大なコンクリート壁によっ て自分達が住む家が村から切り離されたパレスチナ人の過酷な境遇を各国のメディア は世界に紹介しました。パレスチナ人はまさに分離壁によって生活基盤を分断された のでした。

 『いくら、テロ防止という目的を掲げても、こんな策はやはり許されない』というの が、ヨルダン川西岸での分離フェンスに対する多くの人の感想ではないでしょうか。
 国連総会は2003年10月21日に『壁』の建設中止を求める決議を採択しました。 国際司法裁判所は翌年2004年7月9日、分離フェンスについて『国際法違反』と 評決しイスラエル政府に対して壁の即時撤退とその建設で生じた損害を賠償するよう 勧告を出しました。米国務省バウチャー報道官は同日、この国際司法裁判所判断を痛 烈に批判、この勧告を法的拘束力がないと指摘したうえで、この問題を国際司法裁で 扱うこと自体が不適切とコメント。和平を目指す当事者の努力を妨げるものであると 批判を加えました。

ヤセル・アラファト議長の功罪

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 2004年11月11日パレスチナ自治政府議長ヤセル・アラファトが亡くなった。 (写真左は埋葬地/ヨルダン川西岸パレスチナ自治区ラマラの議長府内/2005年4月10日・筆者撮影)

 アラファトについては、権力への異常なまでの執着、各国からの資金援助の不明瞭な 流れや巨額な遺産を残した等の闇の部分がよく話題にのぼります。また、晩年はイス ラエルや米国からテロリストとして位置づけられ、ラマラの議長府に軟禁されたりし て、その影響力は大きく低下しました。

 ただ、現代のパレスチナ問題を世界に知らし める事に貢献した事は事実であり、自分達はパレスチナ人であるとの連帯感をパレス チナ人に産み出したのは、アラファトの功績だと思います。ただ、以前の章にも書き ましたが、エジプトのサダト大統領やイスラエルのラビン首相のようにたとえ同胞に 『裏切り者』と罵倒され、暗殺されても国の将来のために実行する勇気がアラファト 議長にあればパレスチナ国家はすでに建国されていると思っています。たとえまだ建 国されていなくても、もう少しはっきりした道筋ができていたのではないでしょうか?

アメリカンマネー

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 2005年4月9日、私はパレスチナ自治区ラマラの議長府(写真左/2005年4月10日・筆者撮影)を訪問、アラファト議長 の埋葬地や分離壁を目の当たりにしました。



 パレスチナ人タクシー運転手のチャーリー が分離壁を車中から指差し大きな声で叫んだ、その声と彼の顔つきは今だに私の脳裏 に焼きついています。
 『アメリカンマネーだ』
分離壁建設経費の多くは米国からの財政援助で進められているのです。



(写真下)鹿子木人類愛善会事務局長と
パレスチナ人タクシー運転手のチャーリー
(ヨルダン川西岸パレスチナ自治区ラマラの議長府前にて/2005年4月10日・筆者撮影)
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