誰にでもわかるパレスチナ問題(その29)
イラナ・ジンガー博士からのメール
NPO法人大本イスラエル・パレスチナ平和研究所
主任研究員 矢野裕巳
(その1)
(その2)
(その3)
(その4)
(その5)
(その6)
(その7)
(その8)
(その9)
(その10)
(その11)
(その12)
(その13)
(その14)
(その15)
(その16)
(その17)
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(その19)
(その20)
(その21)
(その22)
(その23)
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(その40)
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(その49)
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(その51)
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(その53)
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(その55)
(その56)
(その57)
(その58)
(その59)
(その60)
(その61)
(その62)
(その63)
(その64)
(その65)
現在(2006年8月3日)もイスラエルと、レバノンに拠点を置くヒズボラ(イスラム教シーア派武装組織)
との激しい戦闘が繰り広げられています。双方に多くの死傷者がでています。
特に、南レバノンでは多数の民間人に被害が出ています。この問題については、今後詳しく述べますが、
今回は大本の長年の友人であり、日本芸術研究者のイラナ・ジンガー博士(写真下)からの筆者へのメール(2006年8月1日)を
ご紹介したいと思います。
博士は現在ハイファ市にある海外唯一の日本専門美術館、ティコティン日本美術館の館長で、
ハイファ大学東アジア学部講師でもあります。親日家の彼女は大本へも数回来苑されていて、2000年10月には大本本部で
「日本文化との出会い」と題して講演もおこなっています。
2000年7月、大本から、100名を超えるエルサレム訪問時には、この美術館で日本の夕べを開催。
八雲琴や仕舞、茶道等大本信者による日本文化紹介を企画していただきました。当日は多くのハイファ市民が集まり、
我々と共に楽しいひとときを過ごしました。
今でもその夜の事をよく覚えていると語ってくれたハイファ市民の方と
筆者は今年(20006年5月27日)の訪問時に出会う事ができました。
大本からの多くの参加者も当時の事をなつかしい思い出として記憶にとどめている方もおられると思います。
ハィファ(写真右)は、テルアビブ、エルサレムに次ぐイスラエル第3の都市でイスラエル北部の港湾都市です。
サンフランシスコに似た美しい平和な町です。
7月16日、レバノン南部からロケット弾がこのハイファに打ち込まれ、
9人が死亡、多くの負傷者がでました。
以下、彼女のメールです。
「友人である矢野さんへ
親切で心暖まるメールをいただき有難うございました。
私は何とか気持ちを切り替えて生きて行かなければならないと思っています。
1日も早く普通の生活に戻らなければなりません。ハイファを含め、
北イスラエルの3分の2の人達が自分の家を離れ、南へ向かわなければなりませんでした。
そんな事で、ハイファはゴーストタウンの様相を呈してきました。
イスラエルに住む我々は皆、無実の命が奪われている事に憤りを感じています。
誰もがレバンノンで民間人の命が奪われている事に心を痛めています。
いずれ我々もレバノンに住む人達と平和に暮らせる日が来ると思っています。レバノ
ンはヒズボラに完全に牛耳られていると我々は考えています。
我々ユダヤ人が望んでいるのは普通の生活です。平和な生活です。しかし、テロは自分達の利益だけを
考えるテロ組織によって利用されています。レバノンとパレスチナはこれらのテロ組織に利用されているのです。
このような妨害がなければ我々はもうすでに平和な関係を隣人たちと共有できているはずです。
くどいと思われるかもしれませんが、どうか信じてください。我々が望んでいるのはただ普通の生活を楽しみたい
ということだけです。我々の隣人と平和に共存したいのです。
我々は他の國を征服するなどの意図はありません。戦争は終わらせなければなりません。
普通の生活に戻らなければなりません。テロの脅威をとりのぞく道がきっとあるにちがいありません。」
イスラエルのユダヤ人からみた観点かもしれませんが、テレビで写し出されるイスラエル軍の攻撃の陰で
それを決して肯定的にみていないユダヤ人も多く存在している事が理解されると思います。
(写真)ティコティン日本美術館
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