誰にでもわかるパレスチナ問題(その30)
亀岡プロジェクト
NPO法人大本イスラエル・パレスチナ平和研究所
主任研究員 矢野裕巳
(その1)
(その2)
(その3)
(その4)
(その5)
(その6)
(その7)
(その8)
(その9)
(その10)
(その11)
(その12)
(その13)
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(その15)
(その16)
(その17)
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(その19)
(その20)
(その21)
(その22)
(その23)
(その24)
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(その28)
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(その40)
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(その49)
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(その52)
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(その58)
(その59)
(その60)
(その61)
(その62)
(その63)
(その64)
(その65)
2003年綾部で始まった中東和平プロジェクトは、その後岡山、徳島、そして2006年の今年は亀岡が開催する事に
なりました。
世界連邦宣言都市が受け入れ先となり、イスラエル、パレスチナ双方の紛争地から10代の子供達を
日本に招く行事が今回で4年目を迎える事となったのです。
すでに第1回の綾部プロジェクト
については詳しく説明しました。
私は岡山、徳島では最初の現地ペレスセンターとのつなぎ役を引き受けましたが、実質的にはほとんど接触はありませんでした。
今回は綾部同様、大本本部のある亀岡がホスト役を務めるとのことで、
最初からこのプロジェクトに関わらせていただきました。
2006年4月4日、栗山正隆亀岡市長が天恩郷を訪問。大本総長、本部長に正式に亀岡市がこの事業を
引き受ける旨を説明。そしてこの行事をすすめるにあたり、是非大本が綾部プロジェクトで果たした役割を亀岡での
取り組みでも同様に、またそれ以上にお願いしたいと依頼されました。
その時広瀬総長からも、直接亀岡市長に大本にとってもこの事業の重要性を認識しておりできるだけの
協力をさせていただくとの返答でした。
翌月5月25日から6月2日まで亀岡市長スポークスマンの肩書きを頂き、私は現地イスラエルへ飛びました。
パレスチナ紛争が今だ続く地から本当に子供達が日本に来れるのかを実際に現地窓口のペレスセンターと
協議してくるようにとの市長のお考えでした。
写真右がシモン・ペレス前イスラエル首相(現イスラエル副首相/ペレスセンター創始者)/写真左は鹿子木人類愛善会事務局長
日本を離れる前に市長からは次のような4点の指示と注意がありました。
1、紛争が続くなか果たしてイスラエル、パレスチナ双方の子供達が来日できるのかをペレス平和センターのトップとよく相談する事。
2、亀岡市にとって平和の問題を考える時、8月7日は非常に重要な日です。できればこの日に亀岡に滞在できる日程を組みたい事をセンターに伝える事
3、当然ながらイスラエル、パレスチナ双方の子供達が来日してこの事業が成立するのであり、一方だけの来日ではプロジェクトの成功とは言えない。あくまでも、我々はどちらかの側にたってその主張を指示するというような考えはないとの見解を明確にする。
4、その意味で可能な限り双方の子供達が同じ飛行機で、つまりパレスチナの子供達もテルアビブから関西空港までの飛行が可能なように努力して欲しい。
ペレスセンターとの話し合いでは、在イスラエル大使館水内公使を始め大使館員の方々の協力もいただきました。上記の1~4に関して、ペレスセンター所長ロン・プンダック氏の私に対する直接の回答は次のようでした。
1に関して、イスラエル、パレスチナ双方が対立し紛争が継続しているからといって、すべての土地がそうではないのです。
双方といってもどこの子供達がこのプロジェクトに参加するかが重要なのです。
実際平和推進というイメージを上げるため、まったく紛争と関係のないイスラエル人、パレスチナ人がそのような平和プロジェクトに招待されている事が
あります。もちろん日本の方々がスポンサーになって企画されるので、その決定権はそちらにあります。
しかしペレスセンターは、イスラ エル、パレスチナの紛争和解を目的として設立されたNGO なので、まったく紛争
に関わらない地域の子供達を招くプロジェクトに協力する事は難し いとの意見でした。
2に関しては亀岡での8月7日の意味を説明すると、そのような日に双方の子供達が亀岡の市民の方々と交流できる事は素晴らしいとの回答でした。
3、に関してもその考え方に同意を得ました。
また4に関しては非常に難しい状況ですが努力するという説明でした。
亀岡プロジェクトがまさに準備最終段階で困難に直面した時、この時の3と4に関する話し合いが大きな意味を持ってくる事になるのです。
(次号に続く)
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