誰にでもわかるパレスチナ問題(その31)
亀岡プロジェクト2
NPO法人大本イスラエル・パレスチナ平和研究所
主任研究員 矢野裕巳
(その1)
(その2)
(その3)
(その4)
(その5)
(その6)
(その7)
(その8)
(その9)
(その10)
(その11)
(その12)
(その13)
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(その15)
(その16)
(その17)
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(その19)
(その20)
(その21)
(その22)
(その23)
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(その59)
(その60)
(その61)
(その62)
(その63)
(その64)
(その65)
現在進行形の紛争地から
2006年6月3日、私のイスラエル出向からの帰国翌日、亀岡市は正
式に中東和平プロジェクトin Kameoka 実行委員会を立ち上げることを公表しました。
イスラエル、パレスチナの子供達(14歳から17歳まで)それぞれ5名づつ。そしてイスラエル、パレスチナ双方からそれぞれ1名の付き添い。
また団を代表してペレスセンターから1名で合計13名の招待を決定しました。
先月号でも書きましたが、子供達は、テルアビブの現地窓口であるペレスセンターの強い意向でまさに現在進行形の紛争地であるスデロット
(イスラエル)とガザ(パレスチナ)から招待することになりました。
そんな状況であっても、そんな状況だから
2005年夏、イスラエルのガザ撤退後、すでに本紙で紹介したように、
パレスチナではイスラエル壊滅を唱えるハマス政権が樹立されます。
イスラエル撤退後のガザから手製の簡易ロケット砲であるカッサム
ロケットがイスラエル領内に撃ち込まれ、その反撃としてイスラエルは近代兵器でガザを空爆するという事態が続いていました。
そのカッサムロケット弾がもっとも撃ち込まれているのが、ガザとの境界線にあるスデロットです。
5月29日、私がスデロットを訪問した時にも、3発のロケット弾が飛んできました。ちょうど1週間前の砲撃でスデロット高校の屋根に穴があいていました。
スデロット市の教育委員長ミリアム・サシー女史はそんな状況であっても、また、そんな状況だからこそ是非スデロットの若者に亀岡でガザの青年と交流して
もらいたいと熱く筆者に語ってくれました。
もちろん父兄のなかには、遠い日本へ子供を送り出す事、また望まぬことながら紛争相手となっているパレスチナ人の子供達との交わりを懸念する人もいると
率直に話してくれました。
ガザ地区の父兄もまた同様の
危惧をかかえていました。
サシー女史に亀岡市長のメッセージをお渡ししました。栗山市長からの、「亀岡市は精一杯、我が子を預かるような気持ちで皆さんをお迎えします」との伝言を伝えました。
持参の亀岡市の英文パンフレットを贈呈しながら、私はこの日の為に詰め込んだ亀岡市の概要を説明しました。女史は最後に改めて亀岡プロジェクトの意義に賛同され自分が責任を持って、
このプロジェクトにふさわしい子供達をペレスセンターと共同で選抜し亀岡へ派遣すると約束してくれました。
ガザから選抜の勇気
ガザ対話センター所長イサム・シード氏とは5月30日、午前10時、ペレスセンターで面談しました。
ガザから通常2時間で到着できるテルアビブに8時間かけて、シ-ド氏は出向いてくれました。検問所で5時間以上の足止めを受けたそうです。
ペレスセンターへ頻繁に訪問し、平和交流のセミナー等で多くのイスラエル人の友人を持つシード氏でもガザ出域にこれほどの困難を伴う事を私は実感しました。
昼食を挟んでシード氏とは3時間の面談となりました。冒頭、遠く日本からこの平和プロジェクト実現のため、人を派遣された亀岡市長に感謝するとともに、
亀岡プロジェクトのパレスチナからの招待者をガザから選抜してくださる勇気と決断に敬意を払うと述べられました。
テルアビブやエルサレムを見ればどこに
紛争が存在するのか解らないでしょう。実際に現在のパレスチナ紛争が日常的に展開するガザ、スデロットこそ紛争地でありそこの子供達は目の前の鉄条線の
数十メートル先にお互い暮らしていながら出会う事はないのです。遠く離れた日本で彼らが出会うチャンスを作って
下さる日本の皆さんに感謝するというシード氏の言葉の重みを強く感じました。
スデロットに住む彼のイスラエル人の友人が最近スデロットを離れたそうです。彼の子供が繰り返されるカッサムロケットの警報で眠れなくなったからです。
その事をパレスチナ人として非常に申し訳ないと語ってくれました。
しかし、イスラエルの容赦ない軍事報復によってガザの生活が完全にマヒしている現状も
是非日本の人々に知ってもらいたいと述べられました。
スデロットのサシー女史同様、亀岡プロジェクト参加にふさわしい子供を選抜し亀岡に送ると 約束してくれました。
8月5日に日本到着を
現地、ペレスセンターとの話し合いの中で、決定しなければならない事は日程の決定でした。
8月7日という亀岡にとって平和を考える意味で重要な日に亀岡市民との交流大会を持ちたいとの亀岡市長の考えにペレスセンターはもちろん、
スデロット、ガザの責任者も賛同してくれました。
大本の瑞生大祭の日でもあり、多くの信者さんが全国から参拝されるなか、大祭後の午後の集会には是非大本の信者さんも参加できるように
との話し合いが亀岡市と大本本部で持たれるようになりました。
日程については、8月5日に関西空港へ到着し、亀岡、東京と移動し8月11日に成田から帰国する事が決まり、いよいよプロジェクトへの
本格的な準備が始まりました。
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