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誰にでもわかるパレスチナ問題(その32) 

NPO法人大本イスラエル・パレスチナ平和研究所
主任研究員 矢野裕巳

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亀岡プロジェクト3

検問所は今日も開かなかった !

 2006年6月、亀岡実行委員会設立後も、現地パレスチナの情勢は好転するどころか、 まさに全面戦争の様相を呈してきました。

 6月25日、パレスチナ武装勢力は、ガザ南部境界の通行所にあるイスラエル軍監視所を襲撃。 イスラエル軍兵士2名を殺害、1人を誘拐。イスラエル軍は、 拉致された兵士の解放とガザ地区からの簡易ロケット砲(カッサムロケット)発射への対抗として、ガザ北部及び中部に進攻。 また、連日、ガザ地区内に空爆を繰り返し、パレスチナ暫定自治政府の建物も破壊されました。

 7月12日、シーア派武装組織ヒズボラがイスラエル・レバノン国境で8人のイスラエル兵を殺害し、2人を誘拐。 これに対し、イスラエル軍はレバノン南部、ベイルート国際空港、シリアへの主要道路を攻撃。 その圧倒的な戦力でレバノン全土への攻撃を続け、ヒズボラの軍事拠点及びその支援インフラを徹底的に破壊しようとしました。 イスラエルの攻撃で多数の民間人死傷者がでました。またイスラエルもハマス(ガザ)とヒズボラ(レバノン)との両面作戦を同時に考えなければならなくなりました。 とりわけ、イスラエル領内に打ち込まれるヒズボラから のロケット弾の被害はイスラエル第3の都市ハイファを始め、北部人口密集地にかなりの死傷者を出す結果となりました。


 そのような情勢の中でも、ガザ、スデロットからの参加の準備が現地でも、亀岡でも着々と進められていきました。 8月5日の来日に合わせ、航空チケットの手配や日本でのプログラムの最終決定がなされました。 7日のガレリア亀岡での市民との平和集会には、瑞生大祭参拝後、大本信徒も参加できるよう配慮されました。 また前夜の大本愛善みろく踊り大会には、全国から参拝の信徒と共に、イスラエル、パレスチナ双方の子供達10名も踊りの輪に入る計画が考えられました。

 スデロット(イスラエル)、ガザ(パレスチナ)から、それぞれ5名の自己紹介文がこのプロジェクトに参加する意気込みと共に実行委員会へ送られてきました。


 イスラエル、パレスチナの参加予定者のそれぞれ1名の紹介文を紹介します。

サギー。イスラエルの16歳の男の子。
「過去5年間に1000発のカッサムロケットがガザから撃ち込まれました。私達は恐怖の中で生活しています。 家でも外でも学校でも常に恐怖と共に生きなければなりません。私は誰1人、犠牲にならないように神さまにお祈りしています。 パレスチナ人も問題解決を暴力ではなく話し合いで解決できるように努力して欲しいと思います。一生懸命勉強して将来は立派な建築家になりたいと思います」

アリー。パレスチナの17歳の男の子。
「ある放課後仲のよい友人と帰宅していました。友人と別れた直後、 大きな爆音があり飛行機からのミサイルで多くの人が被害にあったようです。 怖くなって走って家へ帰ろうとしましたが、先ほど別れた友人の事が気になり、 恐る恐る着弾地 点へ行くとそこには友人のかばんが、そしてそこからそんなに離れていないところに友人が倒れていました。 ・・・大切な友人を失い涙が止まりませんでした。なぜ、イスラエルの子供たちと平和に生きていけないのか?そうなれるような大人に自分はなりたい」



                         写真はラマラの検問書(筆者撮影)

photo  現地の情勢が好転しないなか、ペレスセンターから、7月30には、閉鎖されているラファファ (ガザとエジプトとの境界にある検問所)が開くとのかなり確かな情報が送られました。 また同時にイスラエル外務省との交渉で、イスラエル側との境界線にあるエレツ検問所を通り、 テルアビブからイスラエルの子供たちと出国する方策も模索されました。 この計画では、栗山亀岡市長自ら、東京の外務省に電話で協力を要請。 本省からの要請を受けたテルアビブの日本大使館も全力で対処することを約束してくれました。

 高い確率でラファファの検問所が開くとの情報にも関わらず、8月2日になっても検問所は開きませんでした。 イスラエル軍の許可なしでは検問所を通る事は出来ず、国連関係の人を含め約3000名が検問所に並んでいました。
 ガザからの付添人、イサム、シード氏と携帯で何度も状況を確認するが、彼は繰り返し検問はまもなく開くとの 情報を得ていると回答。
 ただ8月5日に関西空港へ到着するためには、現地時間3日午前9時(日本時間午後3時)の段階で検問所が開かなければ難しいとの結論でした。 検問所を通っても、そこからカイロまで車で約8時間かかり、8月4日のカイロ発関西空港行きの飛行機に搭乗するにはこれがタイムリミットでした。


 8月3日午後2時30分、約束の時間より30分早く、ガザのシード氏から電話がなりました。
 「検問所は今日も開かなかった」



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