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誰にでもわかるパレスチナ問題(その33) 

NPO法人大本イスラエル・パレスチナ平和研究所
主任研究員 矢野裕巳

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亀岡プロジェクト4

「検問所が開いた!」

 ガザからのパレスチナ代表が来日出来ないことにより、亀岡プロジェクトの中止が決定されました。 すでに出国の準備体制が完了していたイスラエルの代表に連絡しなければなりませんでした。 亀岡実行委員会にもプロジェクト中止を正式に了承いただかなければなりませんでした。 同時に取材を予定していた、新聞社やテレビ局への伝達もあり、プロジェクト中止の残念、無念さを実感として受け入れる間もない忙しさでした。



photo  翌日の朝刊紙にも亀岡プロジェクト中止の記事が発表された8月4日。夜8時過ぎ、私の携帯が鳴りました。

 ガザのイサム・シード氏(写真)からでした。

「検問所が開いた。今なら出域できる!」

 聞きとりにくい会話は雑音の混じった音波の悪さだけではありませんでした。温厚なシード氏が、明らかに興奮していました。2度、3度、いや4度、5度かもしれません。

 私は同じ質問を繰り返しました。「本当に検問所は開いたのか?」「今目の前の検問所が開いている、いまなら出れる。すぐに許可をくれないか」と同じ言葉を何度も繰り返すシード氏。

 イスラエルの代表にはもう中止を伝えた。彼らはもう空港のあるテルアビブからスデロットの自宅へ戻っている。航空チケットもキャンセルしている。しかし、待ち続けた検問所が今開いたのだ!
 もう1日早ければ! 
 「とにかく少し時間を欲しい。最終判断を市長に仰ぐので」と伝えた。

 それからが大変でした。実行委員事務局長であり亀岡市役所秘書課長の人見徹氏と深夜まで協議。「子供達が重い荷物を持ち、何日も検問所に並んで日本へ向かう準備をしてくれた事。そして今も日本の土を踏みたいと望んでいるガザの子供たちの希望は是非実現してもらいたい。ギリギリまで可能性を探るように」との亀岡市長の 強い意向でした。



栗山市長の決断

 最終的に日付けの変わった8月5日午前2時30分。やはり無理であるという結論を市長が下されました。以下の理由です。

1. 8月7日の午後、ガレリア亀岡で開催の市民との平和集会に是非、イスラエル、パレスチナ双方の出席が条件である。

2. 航空便を調べていけば、8月7日に亀岡へ到着する事は可能です。

 しかしこれからチケットを購入する事の問題。さらににガザの検問 所からエジプトのカイロまで8時間車で走り、カイロに到着してからチケットを手配するとの事。チケットの手配にはエジプトの日本大使館にも協力依頼を打診しました。

3. それにしても時間が限られていました。すべてがうまく働いてようやく8月7日の午後に間に合う事ができるのです。

4. イスラエルの代表にも連絡を何度も取りました。こちらもチケットはすでにキャンセルしていました。加えて8月4日は金曜日。イスラエルは金曜、土曜は休日です。

5. こんどは、パレスチナ代表だけが来日してイスラエルからの代表は遅れて到着との不安もでてきます。


photo  2006年、8月4日の午後8時過ぎから翌日午前2時30分までの記憶 は私のなかで一生消える事はありません。

 とりわけ、最後の栗山市長(写真右)の次の発言は決して忘れる事はないでしょう。

 「私は個人としては、どんなことをしても、たとえ7日の式典に間に合わなくても、毎日朝4時に起きて重い荷物をもって検問所に並んでくれたパレスチナの子供たちに日本の、 亀岡の土を踏んでもらいたいと思っています。

 ただ、亀岡市として行事を開催する責任者としては、確実に双方が市民との行事に参加できる事が確約できなければ、この段階で仕切り直しはできないです。非常に残念です。」



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