誰にでもわかるパレスチナ問題(その54)
”ハイム・ホシェイン公使”
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NPO法人大本イスラエル・パレスチナ平和研究所
主任研究員 矢野裕巳
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(その65)
”2000年2月8日から”
2000年2月9日、綾部市とエルサレム市の友好都市宣言が綾部ITビルで調印されました。
http://www.jinruiaizenkai.jp/Japana/ja-kolumno/j-bill/darepare/dp-16.html
その前夜、私は綾部の「ゆらり」という地元のレストランでハイム・ホシェイン氏とビール片手に、
初めてお互いの事をリラックスした雰囲気 で語り合いました。
この最初の出会いでは、その後これほど頻繁に仕事を共にするとは考えもしませんでした。
”慶応義塾大学への留学”
ホシェイン氏は1956年2月1日、イスラエル生まれ。
年齢では私より1歳年下ですが、日本流でいう学年は同じという関係からか、最初から打ち解けて相談する事ができました。
彼のお陰で、イスラエルの最新情報をかなり早く知ったことも何度かありました。
ヘブライ大学で国際関係論及び東アジア学で学士をとり、同大学院で東アジア学で修士号を取っています。
その後1982年から2年間、慶応大学へ留学しています。
この経験が彼の外交官としての方向性に大きな影響を与えたと思われます。
”その後の大本との縁”
2001年の綾部での調印式時、ホシェイン氏は在日イスラエル大使館広報担当参事官としてその実現に尽力します。
4月の4代様葬儀にもイスラエル大使館を代表して綾部みろく殿に参列されました。
同年9月、イスラエル外務省北東アジア課長のポストを得て帰国。その帰国直前に天恩郷朝陽舘で教主様とご面談。
ちなみに5代教主様ご就任後、最初の外国人とのご面会者がホシェイン氏でした。
2001年から2005年までの北東アジア課長時代、私はエルサレムで2度、彼と会っています。
2003年はイスラエル外務省で、2005年は外務省近くのホテルでした。
会えば必ず、大本の皆さんはお元気ですか?から始まり、別れ際は大本の友人達によろしくとの言葉がありました。
(写真下)京都歌祭りに参加したホシェイン氏(2006.4.30)
”再び日本へ”
2005年再び彼は日本に戻ってきます。
今度は大使の補佐、公使(副大使)の肩書きで。小国での大使就任を断り日本へのこだわりを主張したと私に話してくれました。
”日本、大本を知り、エルサレムを知りそして大本歌祭を知る人物”
2006年4月30日京都での歌祭にイスラエル大使(エリー・ コーヘン)代理で出席。
http://www.jinruiaizenkai.jp/Japana/ja-kolumno/j-bill/darepare/dp-36.html
2008年4月17日の東京歌祭にも大使(ニシム・ベンシトリット)代理で出席。
http://www.jinruiaizenkai.jp/Japana/ja-kolumno/j-bill/darepare/dp-34.html
また2008年8月6日の天恩郷歌祭にも参加されました。3度の歌祭出席です。
私の知る限りこれほど多く正式に國を代表して歌祭に参加した人物は彼以外にいないでしょう。
日本を知り、大本を知り、エルサレムを知りそして大本歌祭を知るホシェイン氏が、
将来のエルサレムでの歌祭開催に、大きな役割を果たされるであろうと強く感じています。
(写真下)東京歌祭りに参加したホシェイン氏(2008.4.17)
”日本は私にとって単なる1つの任地ではない !”
2008年9月に再びイスラエルへ帰られる事になりました。
帰国前の8月6日、7日と亀岡、綾部を訪問。6日午後には亀岡で講演、そして歌祭へ。
7日の瑞生大祭後の挨拶では、「大本の歌祭によって私達イスラエル人はアラブの代表者の方々と交流する事ができるのです。」と、
過去の歌祭出席での経験から話されました。
「外交官として多くの先輩や同僚が日本に赴任し、また日本を去っていきます。
それは外交官としての宿命で、ほとんどの外交官にとって日本も数年における任地の1つです。
でも私にとって、日本は単なる1つの任地ではなく、本当に第2の故郷であると思うのです。」と熱く語ってくれました。
「今度日本に戻ってくる時はいよいよ大使ですね?」との私の問い掛けに「I hope so.」と短く答えてくれました。
2008年8月6日の夜、場所は再び綾部の「ゆらり」でした。
(写真下)本年、天恩郷での歌祭りと瑞生大祭参拝のホシェイン氏(2008.8.6)
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