誰にでもわかるパレスチナ問題(その62)
”ユダヤ人迫害の歴史を映画を通して考える”
”アンネの日記”
1933年、ユダヤ人迫害政策を掲げるナチス党党首アドルフ・ヒットラーがドイツ国首相に任命されました。これによりユダヤ系ドイツ人の多くは国外に亡命することになります。アンネの父オットーもオランダへ逃れる決意を固めました。そのオランダも1940年にドイツが占領。ユダヤ人狩りが頻繁に行われ始めました。
NPO法人大本イスラエル・パレスチナ平和研究所
主任研究員 矢野裕巳
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”十戒”
ユダヤ人の迫害の歴史は、ユダヤ人であるイエス・キリストがユダヤ人によって殺害された時より1300年も前に始まっています。
チャールトン・ヘストン主演の「十戒」という映画を見た人は多いでしょう。これは旧約聖書に書かれている「出エジプト記」を土台にストーリーが展開します。多くのユダヤ人は当時エジプトで奴隷として差別を受けながら生きていました。その後モーゼが出現し、迫害を受けていたユダヤ人を率いてエジプトを脱出。シナイ山で十戒を授けられます。特定の反逆者や罪人に限らない、民族という大きなくくりの中で、ユダヤ人という限定された民族への最初の迫害史だと思います。
”屋根の上のバイオリン弾き”
1964年のアメリカミュージカル。1905年ごろのウクライナ地方(帝政ロシア)シュテットル(東欧のユダヤ人コミュニティで19世紀のユダヤ社会の中心)に住むユダヤ教徒の生活を描いた内容です。牛乳屋を営むユダヤ人一家の人生が描かれています。
次第にエスカレートしていくユダヤ人迫害は、終盤でユダヤ人国外追放に進みます。一家も着の身着のままで、住み慣れた村から追放されるところで終わります。反ユダヤ傾向の強い当時の東欧ではポグロム(ロシア語で破壊、破滅を意味する。ユダヤ人に対して行われる集団的迫害行為)の嵐が起こっていました。これによりユダヤ人のパレスチナやアメリカへの人口移動が進み、シオニズム運動(ユダヤ人の国を創設する)の大きな契機の一つになりました。
日本では1967年、東京帝国劇場で初演。テベィエ役は1986年まで森繁久彌が900回にわたり務めています。1971年に映画化もされました。哀愁を帯びたバイオリンの効果的な響きも印象的です。私はテビエ役のハイアム・トポルの何ともいえない表情が大好きでこの映画は何度も見ています。
1942年から一家は隠れ家での生活を余儀なくされます。1942年6月14日から1944年8月1日までの隠れ家での生活を記した、「アンネ・フランクの日記」は彼女の死後、世界各国で出版されベストセラーになり、映画化もされました。アンネは1944年8月4日アムステルダムでゲシュタボ(ナチス秘密警察)に捕まり1945年3月12日、強制収容所で病死します。満15歳でした。
”シンドラーのリスト ”
(写真)アウシュビッツ強制収容所内の一室
1993年、ユダヤ系米国人スティーブン・スピルバーグ監督による「シンドラーのリスト」が公開されました。ナチスによるホロコースト(第二次世界大戦時のドイツによるユダヤ人虐殺)進行中、ドイツ人実業家のオスカー・シンドラーがおよそ1200人のユダヤ人の命を救ったという実話をもとにした映画です。ナチス政権のホロコーストによって 殺害されたユダヤ人は一般的に600万人とされています。それは、当時の全世界のユダヤ人の3分の1にあたると言われています。
”アウシュビッツで考えたこと”

(写真右)ビルケナウ(アウシュビッツ第2強制収容所)の鉄道引き込み線
(写真左)山のように積まれた毛髪
私は、2009年9月8日、初めてアウシュビッツを訪問しました。アウシュビッツには3つの強制収容所跡があります。その2つを見学しました。第1強制収容所の入り口には、「働けば自由になる」という一文が掲げられています。1940年ドイツ国防軍が開所。30の施設がありました。その中で最も印象に残ったのは、女性の髪の毛が大量に展示されているコーナーでした。
アウシュビッツへ送られたユダヤ人女性は即座に髪の毛を剃られ、それはドイツ本国に送られてマットレス等に加工されました。毛髪から作られた生地も展示されており、訪れた人は皆絶句してしまいます。
アウシュビッツ第2強制収容所ビルケナウは、1941年、まさに絶滅収容所として開設されます。東京ドーム37個分の広さで300以上の施設があったそうで、およそ9万人が収容されていました。
人類が侵したユダヤ人迫害の長い歴史のなかでも、最も大きな負の遺産といわねばならないでしょう。あまりにも悲惨な歴史を目の当たりにして、人間がここまで残酷になるのかと改めて感じるアウシュビッツ訪問でした。
歴史に残る反ユダヤ人主義の一端を考察するだけでも、現在のパレスチナ問題でのイスラエルの過剰とも思える防衛意識、被害意識の理由が見えてくるようです。
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