誰にでもわかるパレスチナ問題(その66)
”一神教と多神教”
”宗教のほとんどは多神教”
何度も出てきましたが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はそれぞれ同じようにア
ブラハムを祖とする一神教です。世界中でユダヤ教徒は1,300万人、キリスト教徒
は20億人、イスラム教徒は12億人とそれぞれ推定されます。つまり世界の人口のおよ
そ半分は一神教信者となります。ただ、世界中に存在する数えきれない宗教のなかで、
唯一この3つの宗教が一神教であり、アジアを中心に5億の信徒をもつ仏教を含めその
他のすべての宗教は多神教と言えるでしょう。 ユダヤ教誕生以前のパレスチナも多神教の世界でした。現在国民のほとんどが一神教信者の中東諸国もかつては、多神教の国でした。砂漠から一神教が成立する
なら、世界各地の荒野や砂漠地帯、もっと具体的い言えば、日本と違って自然環境に
恵まれない土地からは一神教が次々に誕生しなければならないはずです。
日本は島国で、周囲を海に囲まれ、山に囲まれているから、自然を崇拝し、自然にや
どる神々に対する畏敬の念をまっている。だから他の人達にも寛容に接するのだとの
考えは1面的であるのではないでしょうか?
多くの文明論的書籍に表現されている一神教と多神教の記述をみれば、まるで東洋と
西洋との対比に置き換えて考えられているように私には感じます。そして大部分の論
点は多神教、すなわち東洋の優位性が述べられています。とくに現在もつづく世界の
多くの紛争が一神教の他をみとめない姿勢にあるとして、今後世界は寛容の精神をも
つ多神教に回帰すべきである。また世界の自然破壊はこれまた一神教の自然を支配す
る考えに起因する。だから環境問題解決は自然との共生を説く多神教の考えを土台に
するべきであると主張しているのです。
NPO法人大本イスラエル・パレスチナ平和研究所
主任研究員 矢野裕巳
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”砂漠=一神教 ?
四季=多神教 ?”
私は、以前、イスラエル南部のネゲブ砂漠で、出会った日本人グループの1人が言っ
た言葉を今も鮮明に覚えています。どこまでもつづく砂漠をみながら、「まさに一神
教の世界ですね、このように草も木もはえていない、何もないはところで一神教がう
まれるのですね。」と私に話かけてきました。さらに彼は「我々日本のように緑がゆ
たかで四季にめぐまれ自然豊かなところでは、多神教がうまれるのでしょうね」
よく耳にする話だが、そんな単純に考えられのかな? がその時の私の印象でした。
”一神教と多神教の発生は環境の違いから?”
ネゲブ砂漠で出会った日本人のコメントは、彼自身の素直な感想であったかもしれま
せんが、同時に日本の著名な宗教学者や哲学者等の発言に強い影響を受けているよう
に、私には思えました。皆さんはつぎのような話を何度か聞かれた事があるでしょ
う?
「一神教は自然を支配しようとするが多神教では自然との共生を目指している。そし
てその根拠を自然環境の違いにもとめている。さらにその自然環境から農業生産の違
いが生じ、人間による植物支配の小麦農業、人間による動物支配である牧畜から一神
教が生まれ、水を大事にし自然との共生による稲作農業から多神教が生まれたのです」
多神教の代表であるヒンズー教はインド、ネパールで多数派をしめ世界中で10億人と
推定されます。日本の神道、仏教北南米の先住民やアフリカの民族宗教もみな多神教のグ
ループです。
信徒数が多いのでそう感じないかもしれませんが、世界の宗教のほとんどは多神教で
あり、その面でいえば、アブラハムの宗教は中東地域に生まれたきわめて特異な形態
の宗教なのです。
”一神教誕生以前の宗教は多神教”
”多神教だから寛容?”
”一神教VS多神教=西洋VS東洋??”
日本は明治維新以来一神教を基礎とした西洋化の道を進んできましたが、今こそ多神教の道を目指すべきであるなどの言説はまさに西洋文化と東洋文化に
欧米とアジアに置き換えて述べているように思えます。
土着の宗教はべつにして、ながらく一神教が中心のアジアの国、インドネシア(イスラ
ム)とタイ(仏教)の国民性のなかにどれほどの寛容性の違いがあるのか一度調べてみた
いと思います。
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