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誰にでもわかるパレスチナ問題(その8)

NPO法人大本イスラエル・パレスチナ平和研究所
主任研究員 矢野裕巳

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「PLO(パレスチナ解放機構)設立と6日戦争」

第2次中東戦争(1956年)のあと、1967年前後まで、イスラエル、アラブ諸国の国境付近での衝突はあった もののこの地域にしては、比較的大きな事件から遠ざかっていました。軍事的には、イスラエルとアラブ諸国の 力の差が大きく開いた時期です。イスラエルは強力な米国の援助のもと対アラブ戦略が國を挙げて練り上げられ、 防衛体制が確立していきました。これに対してアラブ諸国は対イスラエル戦略の具体的充実も見られず、結果 として1967年の第3次中東戦争(6日戦争)へ突入することになるわけです。

1963年、イスラエルがヨルダン川の水を一方的にネゲブ砂漠にひく事を決定しました。この計画に反対する為、 エジプトのナセル大統領は1964年カイロで第1回アラブ首脳会議を招集、イスラエルの水計画に対する反対と共に PLO (パレスチナ解放機構)の設立を決定します。ナセルはパレスチナ支援の為PLOを設立したのではありませんで した。第2次中東戦争でイスラエル軍の力を見たナセルはイスラエルとの武力衝突を避けたかったのです。そして、 パレスチナ人が自分の承認なしに独自で過激な行動をとらないようにしたかったのです。その為、穏健派で自分の 意のままに動かせるアーメッド・シュケリ氏を総裁とするPLOの設立を決定しました。

イスラエル独立と共に難民となったパレスチナ人は、自分達がアラブ同胞から決して歓迎されない存在であること に気づき初めます。とりわけ若い世代は、イスラエルに対する旧来のパレスチナリーダーがいかに無力であるかを 強く意識します。
こうした中 PLO とは別のところでパレスチナゲリラの組織が活動を始めます。カイロ大学で学んだパレスチナ人の 若者が集まり、ヤセルアラファトを中心にファタハが結成され1965年から対イスラエル武装闘争を開始します。 ファタハの主張は次のとおりです。

1、パレスチナは自分たちの手で解放する。
2、しかし軍事的に、自分達が正攻法でイスラエルに対抗するのは無理である。
3、自分達の行うゲリラ活動でイスラエルを挑発、アラブ諸国を巻き込んで対イスラエル全面戦争に持ち込む。

はたして、アラファトのシナリオどおり、ゲリラ攻撃、イスラエルの報復が繰り返され、1966年から1967年まで イスラエルとアラブ諸国の緊張が再び高まっていきました。まもなくエジプトは、イスラエルに対しアカバ湾と紅海 を結ぶチラン海峡の封鎖を宣言。当時スエズ運河の通行を拒否されていたイスラエルにとって戦争行為そのものでした。
一触即発にありながら、この時点においてもアラブ側はイスラエルの行動を読み取る事が出来ませんでした。

1967年6月5日に、イスラエルの先制攻撃ではじまった第3次中東戦争はわずか6日で停戦。
イスラエルはヨルダンからエルサレム旧市街地を含むヨルダン側西岸、エジプトからシナイ半島、ガザを、シリア からはゴラン高原をそれぞれ占領しました。たった6日間でイスラエルの支配地は四倍以上に膨れあがりました。
この戦争での戦死者はイスラエル730人に対してエジプト、シリア、ヨルダンで15000人でした。
アラファトらのパレスチナゲリラが望んだイスラエル、アラブの全面戦争は実現しましたが、その結果は、あまりにも 一方的なイスラエルの勝利とイスラエルの占領地拡大に終わりました。

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