誰にでもわかるパレスチナ問題(その9)
NPO法人大本イスラエル・パレスチナ平和研究所
主任研究員 矢野裕巳
(その1)
(その2)
(その3)
(その4)
(その5)
(その6)
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(その8)
(その9)
(その10)
(その11)
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(その64)
(その65)
「第4次中東戦争」
第3次中東戦争の圧倒的大勝利を受け、イスラエルは占領地変換を条件にアラブ側が平和交渉に応じてくると信じて
いました。しかし、1967年8月スーダンでのアラブ主脳会議の『アラブの三つのノー』でその予測は裏切られる事に
なります。
『アラブの三つのノー』とは、イスラエルとは『講和せず、交渉せず、承認せず』という原則の採択でした。
当時世界でイスラエルの華々しい電撃作戦が報じられ、たった1国を相手に大敗北を喫したアラブの弱さが大きく
報じられました。その敗北者としてイスラエルとの平和交渉の席につくことは堪え難い屈辱だったのでした。まさに
アラブの面子(メンツ)です。
ナセルの後継者であるアンワル、サダトはこの時、いつの日かイスラエルに1矢を報いる事を誓うのです。そうする
事により少なくとも対等の立場でイスラエルとの交渉の席につこうと考えていたのでした。その機会が1973年10月
にやってくるのです。イスラエルは1967年の第3次中東戦争で完敗したアラブ諸国が再度挑戦してくるとは思って
いませんでした。
第4次中東戦争はアラブの奇襲攻撃で緒戦はイスラエルが敗北します。徐々にイスラエル軍が反撃しますが、それでも
イスラエル国防軍初の敗戦を経験したと言えるでしょう。イスラエル軍不敗神話がこの時崩れました。
サダトはこの第4次中東戦争緒戦の大勝利をテコにイスラエルとの和平問題を解決しようとします。サダト自身、
この戦争を『戦争による平和の遂行』としてとらえ、イスラエルとの和平の出発点としたのでした。
緒戦の敗北のあと、米国に対するイスラエルの緊急軍事援助要請に、当時の国務長官ヘンリーキッシンジャーは意図的
に遅らせた節がみられるのです。キッシンジャーはその回顧録でもしイスラエルが再度勝利すればアラブ側はその面子
から和平を拒否するであろう。アラブ側にある程度軍事面で花をもたせることが中東和平への道だと考えたというのです。
偶然なのかどうかキッシンジャーとサダトの意図は一致していました。
第4次中東戦争ではアラブ側は石油を戦略のなかに取り入れます。石油価格の引き上げにより日本や西側石油消費国の
ダメージは大きなものでした。
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