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『素顔の大本』ビル・ロバーツ著  /日本語訳  矢野 裕巳 


はじめに
序文
プロローグ
プロローグ2
チャプター1-1
チャプター1-2
チャプター2-1
チャプター2-2
チャプター2-3
チャプター2-4
チャプター2-5
チャプター2-6



第3章 指導者として2度目の春を迎えて




この道の取次は、女のほうが結構である。
男もよけれど、男の取次はとかく我の出やすきものであるから、 しくじりて神の道をけがすおそれあり。

−道の栞(出口王仁三郎著)     


(写真下)出口 紅 大本5代教主                              photo

  2005年1月の月次祭は本当に記憶に残るものでした。 亀岡には早めの雪が大晦日に降りました。
元旦、2日、3日はお天気に恵まれましたが、 寒さは厳しいものでした。1月3日月曜日の月次祭も、 天恩郷はおよそ20センチメートルの雪で覆われていました。 大晦日のちょっとしたお祭り騒ぎのあと大本は元旦に、 1年で最初の祭典、初釜、そしてお正月の行事を執行します。 天恩郷月次祭は第1日曜日ですが、 1月だけは曜日に関係なく3日に行われます。

 日本では20歳になる人をお祝いする行事が1月にありますが、 1月の天恩郷月次祭 で成人の祝賀行事が行われます。 お正月の休みであることや成人式の行事のためなのか、 万祥殿は600名以上の参拝者で一杯になっていました。 私がそれまでに経験したどの月次祭よりも多くの参拝者でした。 殿内にはセントラルヒーティングは設置されていないのですが、 ぎっしりとつまった殿内は寒く感じませんでした。 ただ、時おり殿内へのドアが開けられると肌を刺すような寒気に 襲われるのでした。

殿内の前列近くに成人式を迎える約40名の男女が座っていました。 女性はほとんど皆、様々な色鮮やかな着物で着飾っていました。 男性はほとんどが 黒っぽいスーツとネクタイ姿でした。 午前10時の祭典に間に合うように、 女性は朝4時頃には起きなければならないとも聞きました。 髪のセットや着付けを専門家に頼む場合もあるようです。 (誰も言いませんが、多分男性は7時頃まで 寝ていたのではないでしょうか?)

 何千ドルもする着物はほとんど成人式にしか着ないようで、 多くの女性は着物をレンタルすると聞きました。 祭典後の仕舞奉納に続き、成人は一人ずつ名前を呼び上げられます。 カメラのフラッシュのなか、参拝者から拍手を受けます。 教主様とのご面会や午後には祝賀会も開かれます。

photo  すべての祭典行事で、最も私の記憶に残るものは、 直会後、紅教主が参拝した子供たちに御菓子を配る穏やかな情景です。 小さな子供たちは両親に連れられ、 殿内の低いテーブルごしに座っている教主から プレゼントを受け取るため、列に並びます。 子供たちを前にして教主の意識は100%子供たちに向いています。 まるで自動誘導装置を仕掛けられたように。 教主はただプレゼントを渡すのではなく一人ひとりに質問し、 話かけていました。周りがどんなに騒がしくでも彼女は その瞬間を子供たちと共に在ります。 まるで子供たちとある種神聖な空間を共有しているかのようでした。
 私は今までにこれほど瞬間、瞬間において強い存在感を示す人物に 出会った事はありません。 私は過去に2度、亀岡の大本保育園で サンタクロースになった事があります。

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 時にたとえ数秒でも一人の子供と存在を共有することが いかに困難であるかを知りました。 紅教主とそれぞれの子供たちとの出会いを観察しながら、 なるほど彼女は私を含めて誰に対しても このように接しておられるのだと感じました。 彼女はお茶の精神を体現されているのでしょうか?
考えてみれば当然なのですが、 彼女は教主就任以前は茶道の先生でした。

 茶道において日本人は「一期一会」という言葉を使います。 人をもてなす時、その人をもてなす機会は自分の人生でもう 2度とこないと考え、精いっぱいの心づかいで努めるという意味です。
「禅と日本文化」の著書で鈴木大雪(1871~1966年)は次のように 書いています。 「永遠とは感性に訴える長さを超えていると私達は考えていますが、 生命の内面からみれば1分、1秒も1000年の長さと同じように長く、 重要なものなのです。」 その瞬間に存在する事、それぞれの瞬間は私達人間が経験できる 永遠に最も近いものです。 月次祭で、また茶道において大本はその瞬間、瞬間に努力しています。 私が実際目にしたことからも5代教主はこれら多くの 瞬間を成就させています。私自身その瞬間の一部を彼女と体験させて 頂きました。


 最初の場面は洗月亭でした。 せせらぎの月光すべての日本人にとって、 特に大本においては月はとても象徴的な意味を持っていて、 桜のように日本の神話の中心となっています。 月は漁業にとって重要な潮の干満を調節し、 湿潤の米作りの果てしないリズムを示しています。 封建時代、日本人は新月は防御の力をもっていると信じていました。 日本は1873年まで陰暦を使っていました。 (これは研究者にとって頭の痛い問題です。) 多くの月にまつわる言葉があります。

 たとえば、「月見そば」は文字通りそばの上に生卵を割ったものです。 (西欧人は生卵をみれば太陽を連想するでしょう。) 日本語には200語にも及ぶ月に関する単語があるといわれていて、 その多くは詩人によって使われています。 日出ずる國において多くの詩人や芸術家を鼓舞するのは 太陽ではなく月なのです。 満月が上ってくる姿や、満月の冷光が水田、樹木に覆われた丘を 照らすのを見たことのある人はその理由が理解できると思います。 月は時の流れのシンボルであり、 時の流れは俳句、書道、絵画、織物、茶道の主題であります。 秋の月を観賞する事は日本ではおなじみの行事です。

 綾部の大本でも神聖な本宮山のふもとで毎年秋をめでる夕べが開かれます。 そこはかつて開祖出口なお刀自が生活され、 1892年旧暦の新年に最初の霊夢をみられた家の近くです。 数週間後、なおは最初の神懸かり状態になります。 大本の聖典には、王仁三郎は月の影響を受けていると書かれています。 王仁三郎が口述した霊界物語には、 多くの月に関する記述があると聞いています。

 王仁三郎は口述する時、よく温泉に月の周期と同じ28日間滞在しました。 王仁三郎はまた亀岡の最初の神殿を月宮殿と名づけました。 赤松、紅葉、そして銀杏の木々に囲まれていた月宮殿は、 天恩郷の最も高い場所から月に向かってそびえ立つ壮大な建物でした。 ここはもと戦国武将が支配していました。 巨大な礼拝堂は日本各地の石を使って建設されており、 ほとんどの神社、お寺が木で建てられているこの国では珍しい事です。

 1935年日本帝国主義政府は大本弾圧の中でダイナマイトで月宮殿を こなごなに爆破しました。 当局の弾圧で大本のほとんどすべての建物が破壊され、 多くの信徒が拷問を受けて不具となったり死亡したりしました。 信徒は後に瓦礫を集め素晴らしい岩の彫刻に造り替えました。 まるでそれは山やひっくり返した御茶碗のように見えます。 1958年、万祥殿がそのふもとに完成します。 今日、宝座は聖なる足地となっています。 photo

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 宝座に隣接したところに泰安居と呼ばれる茶室庭園があります。 ここにはいくつかのお茶室があり、洗月亭はその1つです。
そこからは庭を流れる小川に満月が映し出される姿が見られると聞きました。 満月ではありませんでしたが、私は、二度、紅教主の招待でお茶室へ入席させて頂きました。 日中でさえも、月宮殿のオーラが庭に、月光の静寂のような静かなうららかさで充桙オていました。  3代教主がデザインされたお茶室への入席は単なる入席ではなく、 文化的背景、大本の痛みを伴った歴史に触れる入席です。
 2002年11月1日、洗月亭のお茶室で、初めて私は公式に 5代教主にお目にかかりました。 私は大本が京都で主催する祈りとフォーラムの取材のために来日していました。 photo
 教主就任、18ヶ月後の事で、 今は自分の仕事に適応させるよう模索していますとおっしゃっていました。 そしてフォーラム参加の準備をしていますと話されていました。 この祈りとフォーラムには海外から35名の宗教指導者の参加がありました。 仏教、キリスト教、ヒンズー教、ユダヤ教、そしてイスラム教でした。

 この洗月亭での教主との面会は来日して2日目で、 未だ時差ボケの中、通訳の矢野裕巳氏と共に月宮殿跡を通り、 泰安居への道を上っていきました。 冷たい霧雨のなかで白く輝きながら木の葉が色づき始めていました。 泰安居の入り口で、私達は待合に入り芳名録に名前を書きました。 それからつくばいで手を洗いました。 靴を脱ぎサイザル麻のスリッパに履き替えました。 壁の上方、そんなに離れていないところに、月宮殿のなごりを見つけました。 それは現在、月宮宝座と呼ばれています。歩くにつれて月宮宝座は近くになってきました。 しばらくして霧の中を傘をさしながら、 私達は着物を着た男性に導かれ飛び石をぐるりと景色を楽しみながら進みました。 いくつかのお茶室を通りました。2人が入れば一杯になるサイズのお茶室もありました。 松の木々、椿、そしてイチイの潅木が見えました。つくばいもありました。 洗月亭の隣にある小川にかかる石橋を渡りました。 洗月亭に着くまでに小雨は止んでいました。 赤松の強い匂いがあたりにただよい、カラスがカーカー鳴いていました。 スリッパを脱いで伝統的方法で茶室に入りました。 小さな入り口から膝でにじって入りました。中は大きな8畳の茶室でした。 (畳は6フィート×3フィート)。

 紅教主は私達を待っておられました。 藤色の着物に大本の女性がよく身につけられる青色の木の花帯姿でした。 大きな障子の前に座られていました。 その障子を開け、にじって入ってこられました。 障子が開けられると、盛り土された庭や岩が見えました。 光の洪水が入り込み、お茶室に独特な雰囲気を醸し出していた影は 消えました。 私達がフォーマルな挨拶を交わした後、 私は教主の隣に座るよう言われました。 男性の側近の方がお茶を点ててくださいました。 畳の1部に掘られた炭火の上におかれた真鍮細工の釜の沸騰した湯を使って。

 もう一人がお菓子を運んできました。 紅教主は両手を組んでひざに置いています。 彼女は晴れやかな色白の顔で、洞察力のある黒い目とショートカットの 黒髪をしています。 彼女は実際の年齢である46才よりも10才は若く見えました。 淡い赤色の口紅で、薄化粧でした。 「ビルさん、祈りとフォーラムでのスピーチの校正では 色々お世話になりました。」と通訳者を通じて教主は述べられました。 来日前に、私は教主や大本役員の挨拶原稿の英訳校正を手伝っていました。 挨拶は日本語でされますが、その内容は英訳され小冊子におさめられました。 「こちらこそ、大本の方々には色々とよくして頂いています」と、私は答えました。 私は常々大本の方々にお礼を言われた時にはこのように答えるようにしています。



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