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『素顔の大本』ビル・ロバーツ著  /日本語訳  矢野 裕巳 


はじめに
序文
プロローグ
プロローグ2
チャプター1-1
チャプター1-2
チャプター2-1
チャプター2-2
チャプター2-3
チャプター2-4
チャプター2-5
チャプター2-6



第3章 指導者として2度目の春を迎えて    2



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せせらぎの月光


 内事の方がお抹茶を運んでくれました。 最後に茶室に招かれてからほぼ1年がたっていました。 それでも何とか最低限度の作法は覚えていました。 お茶を三口で頂き、ソフトに音を立てて飲み干します。 茶碗の底には、最後はこまかな緑色の膜だけが残りあたかもコケのように見えました。 それから私は茶碗を観賞しました。教主は、茶碗は祖母の直日3代教主の作品だと説明されました。

 3代教主は熟練した陶芸家であり、庭園の設計にも長けており、 本格的に大本に茶道を導入した人物です。 大本信徒が神聖なものと考える御茶碗でお茶を頂くという名誉を感じました。 それから私は教主にお土産を2つ渡しました。 カルフォルニアで私が好むピーツコーヒーと南西部の先住民による鉄樹 (カルフォルニア州産バラ科の樹木)に彫られたうずらの置物です。 「うずらはカルフォルニアの州鳥であるのですが、友情の象徴でもあります。」 と私は説明しました。 大本の教は自然に根ざしているので、多くの大本信徒は北米先住民に対して 親しみを感じています。また、その工芸をも評価しています。大本は土着民族との 宗際会合にも関わってきました。

 教主はすぐにピーツコーヒーを内事の一人に渡され、その人はそれを持って立ち去りました。 その後教主はウズラの置物を光の入るところでじっくりと眺められました。
「ありがとう。」  色々な角度からウズラを眺められたあと、微笑みながら言われました。 しばらくの間沈黙が続き、カラスの鳴き声が沈黙を破りました。 程なくして、通訳の矢野さんが自己紹介をするようにと提案してくれました。 そこで私は書き手としての私の仕事を説明し始めました。 陶芸への私の興味、どのようにして私の両親が日本で出会ったのか等を話しました。

 教主は私の話をすべて知っておられる事は明らかでした。 「ビデオを見ましたよ。」と教主は告白されました。
2001年4月、大本で私が講演した時のもので、彼女が教主に就任するおよそ3週間前でした。 私とお会い頂く前に1時間のビデオを見て準備頂いた事に感銘しました。 ただこれにより話す内容が無くなってしまいました。 また少し沈黙が続いたあと、 私は大本に関する本を執筆する希望を持っている事をお話しました。 「それは、よい考えですね。」と彼女は答えられました。

 「フレデリック・フランク博士が書かれてから30年になります。 この間多くの事がありましたから。」 教主は庭の方をご覧になりました。太陽の光が雲の合間から漏れてきました。教主が 会話の主導権を握られました。
「満月の澄んだ夜、障子をこのように開けると、お月さまが小川に反射します。」 彼女は私達が渡ったせせらぎを示されました。どんなに想像してもこのような小さな 流れに何かが映るとは思えませんでした。おそらくカラスぐらいは映るかもしれません。

 30分ほどして内事の方がコーヒーとケーキを運んで来られました。 教主は別の約束があるのでここで失礼しますと言われました。 お好きなだけゆっくりして庭を鑑賞して下さいと述べられ、 最後にもう一度お土産のお礼と私の翻訳の手伝いについての感謝を付け加えられました。 それから何度もお辞儀をされ、それにあわせて私もお辞儀を返しました。 祈りとフォーラムでお会いしましょうと挨拶されました。 「またお茶でお会いしましょう」とも言われました。特にいつとは言われませんでしたが。 
それから教主は立ち上がりエレガントな演能者のように畳を滑るようにして出て行かれました。 ぎこちなく退席する前にケーキとコーヒーを頂きました。先ほど私が差し上げたピーツコーヒーでした。 我々が坂を下っていた時、湿った肌寒い外気はカラスのコーラスで満ちていました。

 まさかこんなに早くこのお茶室に戻ってくる事が出来ると思ってもいませんでした。 まず祈りとフォーラムがあり、その2日後が大本4大大祭の1つである開祖大祭でした。 フォーラムに出席した宗教指導者の何人かは開祖大祭にも参拝しました。 その中にはラビであるロン・クロニシュ師と彼の妻で映画評論家のエミーもいました。
彼らは現在50歳代で1960年代当時、理想に燃えたユダヤ系米国青年の流れのなかでイスラエルへ移住しました。 ラビはイスラエル宗教協議会会長です。 ユダヤ、キリスト、イスラム間の宗教的、文化的対話を促進しようとしています。 「平和協定はいずれ政府の役員によって結ばれるでしょう。 しかし本当の平和は個々によって達成されるのです。」クロニッシュ師は繰り返し述べています。
このことに大本信徒は共感できると思います。

 初めての訪問から1週間後、クロニッシュ夫妻が泰安居洗月亭に招待された時、 矢野さんと共に私は取材で伺いました。11月初旬の典型的な朝の天候で、丹波霧が充満していました。 亀岡盆地を覆う不気味な霧です。亀岡盆地は保津川によって等分された広い肥沃な平原で 丹波の山々で囲まれています。霧は昼前にはなくなり、その日は快晴となります。 ゆっくりと坂を上りながら、紅葉がさらに進んでいるのを感じました。 銀杏は黄色を帯び、もみじは深紅色に染まり始め、秋は葉っぱ1枚づつに訪れているように思われました。

 クロニッシュ夫妻は、お茶は初めてのことで、緊張していました。 足を窮屈にしながら芳名録に名前を書き込みました。 たいていの外国人がそうするように彼らもスリッパについてジョークを飛ばしていました。
前回とは違って教主は我々が入席した時には、お茶室にはおられませんでした。 障子は閉めれらており、影と光がこの世とは思えない雰囲気を醸し出していました。 私達が座った時、何が起こるのかが解りました。 お点前をされる方が最後に入ってこられました。 教主はご自分でお茶を点てて、クロニッシュ夫妻を最高の形で歓迎されたのでした。 グレーの絹の着物で彼女は茶室に入って来られました。茶道具を手に持ちながら。

 内事の方が御菓子を運ばれる間、教主はお茶を点てる準備を始められました。 私は彼女の繊細な動きを理解できる程度には茶道を理解していたと思います。 正確かつ流動的な動きで彼女はお茶碗をお湯でゆすぎ、布でふき取りました。 彼女は抹茶と呼ばれるグリーンパウダーをすくって茶碗に入れ、釜のお湯を注ぎ、お茶を泡立てました。 まずラビに、そして奥様にそして私にもお茶を点てられました。 その後ラビの横に移動されました。 それから内事の方が教主と矢野さんにお茶を持ってこられました。

 禅の大家である鈴木大拙は次のように書いています。 「茶道とはお茶を飲むだけではなく、それに関わるすべての活動を含むのです。 茶道で用いられるすべての道具、全体の雰囲気、なによりも最も重要な事は これらすべての要素のコンビネーションから醸し出される神秘的な感性なのです。 それゆえ、お茶を頂くことは単に機械的にお茶を飲む事ではなくて、内面の向上への芸術であります。」
 泰安居洗月亭訪問の残りの時間は教主とラビがほとんどの会話をされていました。 教主のお点前によるお茶を頂き、私は内面向上へと至福の時をさまよっていました。

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