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『素顔の大本』ビル・ロバーツ著  /日本語訳  矢野 裕巳 


はじめに
序文
プロローグ
プロローグ2
チャプター1-1
チャプター1-2
チャプター2-1
チャプター2-2
チャプター2-3
チャプター2-4
チャプター2-5
チャプター2-6



第3章 指導者として2度目の春を迎えて    3



photo Springtime at Oomoto  大本の春

 11枚の白黒写真に、肩まで垂れた黒いお下げ髪のはにかんだ16歳の少女が写っています。 学校用のセーター、ハイソックスとチェックのミニスカート姿です。 現在の日本の女の子がよく着る服装ですが固いポーズです。
 その黒い目から鼻に抜けるような顔には従順さが表れています。これが後の五代教主の学生時代の古い写真です。
 紅教主は1956年12月15日、大学で神学を学んだ大本の若き碩学、廣瀬靜水を父に、 三代教主直日の次女、麻子を母に生まれました。 彼女の誕生時に将来の大本教主を想像した人は多くはいなかったと思われます。
「自分が教主になるとは子どものころには想像もしていませんでした」と教主は答 えられました。

 『紅』は日本語で紫がかった濃い赤色を表します。 大本、日本伝統文化を学び、大学では現代薬学と東洋医学を学びました。 彼女は西洋医学と東洋医学を取り入れたクリニックの薬剤師でした。
 仕舞や八雲琴もお稽古されましたが、もっとも魅了されたのは茶道でした。 祖母である三代教主の影響を受け、中学生のころから始めた茶道を長年続けて、 後に多くの生徒を持ち人気のある茶道の先生になりました。 教主就任後は時間が取れず教えることはやめられました。 生来内向的な性格かもしれませんが、彼女は自信と独自のスタイルを獲得していきます。 着物でない時はファッショナブルな洋服を着ています。 乗馬やスキーも嗜まれます。ビールも飲まれ、決して堅苦しくありません。

 2001年、大本本部の松花会望年会では、教主は奉仕者と共にビールを飲まれ、 笑い、ダーツ投げコンテストにも引っ張りだされました。 3回的を外されましたが、なかなかエレガントな外し方であったと私は記憶しています。
photo  2002年教主ご臨席の徳島の瑞雲郷別院歌祭を私は取材しました。 翌日は月次祭で、祭典後地元の「阿波踊り」が披露されました。踊りはツイストのように回転する 挑発的な動きでロックンロールミュージックに似ていました。
 まもなく参拝の大本信徒も踊りの輪に加わりました。 急いで私はシャッターを切り続けました。予告なしで教主が殿内から軽装で出て来られたからです。 群衆に加わり、手を空に向けて振り、手をたたき、体をよじっていました。歓声の中、教主は踊りに 参加されたのでした。
 しばらくして私は教主と目が合いました。 彼女は私の腕を取り、踊りの輪に引っ張って行かれました。 コンガ(アフリカ起源のキューバの曲と踊り)のようでした。 孤を描いて回るたびに教主は肩越しに後ろを振り返り、 私がついてきているかを確認されていました。

 2001年4月29日、66歳で昇天された四代教主の後を受けて五代紅教主が誕生しました。 私は紅教主に何度かお会いしたことがありますが、 正式にインタビューさせていただいたのは一度だけでした。 通訳と男性の側近の方が同席でした。教主は英語を少し理解されていましたが、 インタビューに直接答えるまでではありませんでした。 与えられたインタビューの時間内で出来るだけ多くの事を質問したかったので特定の内容 を深くお聞きすることは出来ませんでした。 教主のコメントはこの本の中で適宜引用していきます。
 「教主としての役割で最も困難な事は?」と私はお尋ねしました。
「毎日が困難の連続ですね」と答えられました。
「最初はもっと大変でした。教主就任当初は、なぜ私が?と考えることがありました。 今はもっと楽天的です。毎日違った問題が出てきますが、それぞれ解決されていきます」
「いつごろから教主としての役割を自然に受け入れることができましたか?」
「つい最近ですね」我々は同時に笑いました。
「今は毎日が楽しいです」と即座に付け加えられました。

 古代日本で女性が政治的、宗教的指導者となる家母長制をとっていた歴史的証拠は 注目に値する興味深いことです。
 現存する最古の日本に関する記述は、 約2000年前に日本と正式に接触を始めた中国人の宮廷文書に見られます。 宗教史家の故・堀一郎氏はこの文書を引用し、紀元後180年から248年まで 日本の大部分を支配したカリスマ的存在のシャーマン、卑弥呼に関して「日本の民間宗教」という本を著しています。 いつ、どのような理由で家母長制が家父長制に変わったのかは定かではありません。
 大本での女性指導者は古代形態への回帰のようにも見られます。 もっと厳密に言えば、大本は完全な家母長制ではなく女性と男性の興味深いブレンドに見えるのです。
教主を除いて亀岡、綾部、そして東京のそれぞれの本部を合わせて300人弱のスタッフがいて、 男性が主なる仕事のポストに就いています。 男性によって予算、建造物の決定、人事、非宗教的活動等が管理されています。 すべての権限をもつ人物はいません。 すべての人が確実に同意する長いプロセスがあります。 少なくとも大きな決定では全員が受け入れる過程があるのです。
これは稟議制といわれる制度で多くの日本企業が、 絶えず変化するグローバルビジネスでの即座の決定を難しくしているものです。 宗教界はビジネス界のような迅速な行動をあまり必要としていないのかもしれません。 たとえあったとしても、より慎重な対応が望まれます。大本でのコンセンサスは教主の意向を中心に行われます。

 教主は実際にどんな役割を果たされているのでしょうか?
 大祭や月次祭へのご臨席に加えて日常の礼拝、定期的な祭典でのお祈り、 外部からの表敬者との面談、会議への出席、地方教会への訪問、信徒との面会等にも時間を費やされています。
 開祖なおは芸術にかける時間がありませんでしたが、王仁三郎を筆頭に、 すみこから始まる女性の教主は織物をされ、書道や陶芸もされています。 五代紅教主も就任以来、限られた時間の中で織物や茶碗作りに取り組まれています。 教主就任以前にはそれほど経験されていなかったようです。 歴代教主の芸術作品は各信徒や各地方の神の家のご神前にもお下げされています。
三代教主就任以来、大本信徒の多くは茶道のお稽古を始めました。


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