ロシア国境の町で贈呈活動 「出発」 「太陽と月」 「スフバートル到着」 「子どもたちと袋入れ」 「自由主義体制」
人類愛善会理事 山崎光男
12月15日(木)夕刻、モンゴルセンター理事のバトツェレグさんから電話が入った。明朝、ロシア国境の町スフバートルに鉛筆ノートを贈呈しに行きたいという。
ウランバートルから北に400キロほど車を走らせねばならない。日帰りはかなり強行軍となる。
ETT社のアンハー専務はしばらく考え込んだ。往復の運転を一人でしなくてはならないからだ。
意を決して明日6時に出発しましょうと私に言った。翌朝5時半に私のアパートに迎えに来てくれた彼は、ダンボール10箱ほどの重たい荷物を、
私の4階の部屋から担いで何回も往復しなくてはならなかった。
私と二人で息を切らせながら、ようやく荷物を車に運び込むと、アパートの管理人が出てきて、朝っぱらから何事かという顔つきで私たちの顔を見つめた。
どこのアパートもセキュリティーは厳しかった。私たちは夜のウランバートルを一路北に向かった。アンハーはランドクルーザーのサスペンションがやわらかくて車の安定が悪いとぼやく。
トヨタでも日産でも、ここモンゴルではトコトン車の性能がぎりぎりまで試されてしまう。デコボコの草原も100キロで走るし、
舗装道路はさらにスピードを上げる。多少の穴は突っ込んでいくしかない。モンゴルの人は車を実によく知っていた。
途中で、バトツェレグさんの代わりに参加したという20歳の制服会社社長ムンフボロルさんと、友人のアマルトゥグシンさんらと合流した。
冬のモンゴルの夜明けは遅かった。2時間も走っただろうか。辺りはまだ薄暗く、空にポッカリと黄色い満月が浮かんでいた。
やがて太陽が背後から上がってきても、満月は平然として中空にあった。まるで幻想の世界であった。
この状況をモンゴル人は「お月さんがお空に眠る」と言うのだそうだ。高気圧に覆われた真っ青な空に、積雪を被った丘陵地帯、草原は枯れ草で覆われ、
太陽と月が東と西に同時に浮かんでいた。この国は確かに天上に近いところにあった。
やがて、車はモンゴル第二の都会ダルハン市に到着した。ウランバートルと同じように近くに石炭を燃やす大きな発電所があり、周辺のゲル集落から流れ込む煙が町を覆っていた。
ここは美人の多いところだと青年たちが言った。私たち4人は朝食を食べにレストランに入り、私が料理を運んでくれた女性の顔を見つめると恥ずかしそうに去ってしまった。
先を急がなくてはならない。
1時間も走ると、ようやくスフバートルに到着した。スフバートルとは1917年のロシア革命以降、モンゴルの政治的動乱の中でモンゴル人民義勇軍を率いた将軍の名前であった。
彼はこの町を拠点にソ連赤軍と協力し、中国軍やウンゲルン軍を破って、モンゴルを社会主義の国に導いた英雄であった。実際の国境は、
さらに車で30分のところにあるアルタンボラクである。日本人拘留者の墓地跡があるという。
スフバートルにはムンフボロルさんの義理の父親が住んでいた。昼食をご馳走するという。
二階立てのがっしりしたアパート風の家であった。古くても中は快適そうであった。父親のジャルブルジャーさんは消防署を退職したが、年齢は50歳ぐらいだろうか。
娘さんが木耳とヒツジの肉の炒め物料理を運んでくれた。塩だけの味付けが実にうまかった。モンゴルは男社会であった。男がいつも威張っている風にも見えるが、何となく、
女も強そうに見えた。私の出会った夫婦では、大抵は婦人のほうが強そうであったし、どことなくご主人のほうが怯えているのさえあった。我が国と似ているのかもしれない。
昼食後、セレンゲ県第一高等学校に向かった。小・中・高、合わせて1813名の生徒が在席しているという。校長先生はドルジパラムさんで職員は73人だという。私たちは183人分の
ノート鉛筆を袋に入れ始めた。4人の大人が品物の封を破り、袋に入れる作業に時間がかかった。見かねた先生が生徒たちを連れてきて、いっしょに手伝ってくれた。
本当にかわいい小学生たちであった。子どもたちの仕事は大人より速かった。うれしそうに一心不乱にやっている。私は床に座り込んで子どもたちといっしょに作業に励んだ。
子どもたちの心がわたしに伝わって来るようであった。アンハーさんも汗びっしょりになったようだ。一瞬、私は子ども時代に戻ったような気分になった。
それらのノート鉛筆の入った袋を持って小学1年生のクラスを次々に回った。ムンフボルトさんが子どもたちに人類愛善会モンゴルセンターの活動を紹介し、
日本の会員たちからの贈り物だから、しっかりと勉強してくださいと話すと、子どもたちから「バイルッラ・ありがとう」との元気な返事が返ってきた。
他に3箇所の学校にも品物を贈呈させていただいたが、何処の学校からも同じ感謝の言葉をいただいた。
モンゴルは91年のソ連崩壊後、社会主義体制から自由主義体制に移行したが、多くの国営企業が閉鎖され、その後の産業が育っていない。
この町でも嘗てあったマッチ工場が閉鎖され、大きな製粉工場も動いている気配はなかった。一人の校長先生が言った。「この町に住む多くの家庭が貧困の中で暮らしています。
ノート一冊でも鉛筆一本でも本当にうれしいのです。」と。自由主義も資本主義も、それは結局、豊かな人々や国々のルールであって、
そのルールから取り残された人々や国々はどうなるのか。人間の体を巡る血液と同じように、地球全体、富の還流と分配ということが機能しないルールに正義があるのだろうか。
今日の世界経済がゲーム化していることに疑問はないのだろうか。豊かな者がますます豊かになり、貧しいものがますます貧しくなるという世界の構図は、
やはり、根本的にどこかが間違っているというしかない。平和を脅かす戦争もテロ活動も、結局、世界全体に正義(法)の実施制度(システム)が
未だ確立されていないという警告でありシグナルに他ならない。