小原 克博
同志社大学 神学部教授、一神教学際研究センター長
"チュニジア、エジプトそして、今後の中東は?”
2011年3月18日、亀岡市天恩郷を会場に小原克博神教学際研究センター長を講師に迎え講演会が開催されました。
私は宗教学、特に一神教を中心とする宗教が専門です。その意味では、例えば、エジプトとかチュニジアといったそれぞれの地域の専門家ではありません。そういう地域研究の専門家も多数いますし、そういう人はそれぞれの地域に関して非常に詳しい知識を持っています。私の場合は各地域をまたいで起きている様々な宗教運動、そういったことについて皆さまと一緒に考えていきたいと思います。
中東のことは私たちの目には遠いところで起こっているように見えるかもしれませんが、現代の日本社会とどう関わりがあるのかについても考えていきます。
歴史を予測すること
中東における大きな変化を考える時に、私たちは人類が抱えている様々な危機を考えざるを得ません。今まで当たり前のように繰り返されていた日常が、ある時急に変化する。そういう変化を中東は経験しました。そして同じようにこれまで繰り返されてきた日常が、突然、大地震や津波という形で寸断され、そして、秩序が崩壊していく。そういう経験も私たちは今、日本でしているわけです。
ですからこれが人為的なものなのか、そうでないのかという違いは大きくありますが、私たちは生きていく上で様々な危機に直面するわけです。それは突如、起こる場合もあります。今回のチュニジア、エジプトの変化は比較的短い間にその激変が起こりました。地震の場合もそうです。そのインパクトというのは、わずか数時間、数日の間に甚大な変化をもたらします。
そのほかには、ゆっくりとした形で最終的には巨大な影響を及ぼすという変化もあります。
例えば、二酸化炭素の増加などに代表されるような環境危機の問題です。これは、日々の生活の中でその変化を感じることはありません。しかし、20年、30年、50年経った時には、大きな影響を受けることになります。
それから人口比率の変化です。日本は少子高齢化社会といわれています。刻々と変わっていくことを私たちは知っていますが、20年、30年後の日本社会の人口がどのようになっていくかに対して、あまり危機感はないと思います。しかし、そういうことも今日は話題として関わってきます。
歴史を予測することができるのか。この点に関してまず話を始めますと、今回の中東の変化をあらかじめ予測できた人はほとんどいなかったと言って良いと思います。あっという間に起こったのです。そしてその変化の結果を私たちは知らされていますし、また、リビア、あるいは他の国でもまだその変化が進行中です。
ですから、なかなかそういうことを予測することができません。そして、今後どうなるのか、今日のタイトルにもあるのですが、それもなかなか難しい問題です。今後、中東がこうなることを、皆さんにパッと示せると良いのですけれども、それには限界があります。そのことを私の経験から一つだけ参考までにお話します。
私は学生時代、ドイツに留学していました。ちょうどベルリンの壁が崩壊して、ドイツが統一する時でした。ドイツに到着した時には、東西ドイツが存在していました。西ベルリンから東ベルリンに行き、チェックポイント・チャーリーという非常に厳重な通過地点を通って東の世界を垣間見ることができました。
ベルリンの壁崩壊 そういったものを見るたびに、あるいは、ベルリンの壁を見た時に、まさに鉄のカーテンといわれた共産主義世界と資本主義世界を分け隔てる鉄のカーテンの重さということにリアリティを感じたわけです。米ソの対立というものが簡単には変わらないということを、恐らく多くの皆さんがその時代感じていたと思います。ちょっとやそっとでは動かしようのない大きな世界の対立軸があったわけです。
ところが、私がドイツにいる間に東欧で変化が起こります。何かおかしなことが起こっているなと思っているうちに、瞬く間に大きな変化が訪れて、途中のプロセスは省略しますが、一気にベルリンの壁が崩壊するというところまでいったのです。これは誰も予測することができませんでした。あの鉄のカーテンの象徴であるベルリンの壁が崩壊するということを予測できた人は当時誰もいなかったでしょう。
まさに歴史が変わっていったわけです。私はそれを最初テレビ越しに見ながら、すごく驚きました。それと同時にいてもたってもいられなくなって、車でベルリンまで出かけて、壁の上に乗って、ガッツンガッツンとハンマーで壁を砕きました。本当に粗悪品の壁で、こんなものが何百人もの人の命を奪ってきたのかと思うと、非常にいたたまれない思いもしました。壁を壊して、壁の上に乗ってウォーッと叫んだことを覚えています。これは一つの歴史の変化です。
予測できない変化が起こって、その後どうなるか予測できた人はやはり多くありませんでした。当時、東西ベルリンを隔てる壁が壊れ、まさに新しい時代の幕開けということで、多くの人がその瞬間を喜んだわけです。まさにエジプトで多くの人が喜びをともにしているような、そういう瞬間があったわけです。ところが、その後訪れたものは何かというと、統一の恩恵ばかりではなく、かつて東ドイツが抱えていた様々な経済的な負荷といったものを西側が負うことになります。
そして、同じドイツ人だから仲良くしようと最初は言っていましたが、やはり東ドイツに住んでいた人たちが重荷のように扱われていくようになりました。そういう中で、失業率が高まり、結果的に外国人に対して批判の矢が向けられていきます。
“お前たちがたくさんドイツにいるから失業率が高くなっている”ということで、トルコ人に対する排斥運動が起こり、ひどい場合にはトルコ人が住んでいる居住区に対して放火が続くということもありました。
変化する中東の背景
そういう意味では、今もたらされている中東における変化は、非常に平和的ですが、その変化というものを持続する形でより良いものに変えていくためには、まだまだ多くのプロセスを経ていかなければならないだろうと私の経験からも一応言っておきたいと思います。
そう簡単ではない。しかし、様々な困難はあるけれども、どういう希望があるのかということも今日は少し触れていきたいと思います。
まず一つあげられるのが若年人口が多いということです。これは新聞などでもよく指摘されてきたことですが、国によって多い少ないは多少あります。しかし、中東全体で平均すると30歳未満の人口が全人口の6割を占めています。かなり多いです。ちなみに、日本で30歳未満の人口は全体の何割を占めているか皆さんご存知ですか。最近30%を切りました。そしてこの割合はどんどん減っています。少子高齢化に日本は向かっています。ですから、日本とは対局にあるような人口比に中東はなっています。
たくさんの若者が高い教育を受けながらも失業しています。全体を平均すると、30歳未満の平均失業率は、ほぼ30%とかなり高いです。大学で教育を受け、様々な専門知識を持ちながらも、その力を活かす場がない。そういう中で、若者のフラストレーションが非常に高まってくるわけです。これはエジプト、チュニジアに関わらず、中東に共通する部分であると思います。
それから今回の変化のきっかけとなったのは、これもよく指摘されてきたことですが、情報テクノロジーの活用です。これは若い世代ならではの結びつきだと思います。今や携帯電話などは老若男女問わずみんなが持っています。これが大きな役割を果たしました。
それから衛星放送、これはずばり言うとアル・ジャジーラ(カタールに本社を置く衛生テレビ局)です。アル・ジャジーラが、今タハリール広場で起こっていることをリアルタイムで全世界に伝えていったわけです。最終的には政府によって放送を強制遮断されましたが、起こっていることを刻々と伝えていくことによって、リビアで起こったことがエジプトに伝わり、エジプトに起こったことが他の国に伝わりました。自分たちの抱えているフラストレーション、あるいは悲惨な現実というものが、自分たちの社会、または自分たちの国だけのことではないことに多くの人が気付き始めるわけです。
それに加えて、ツイッターやフェイスブックといったソーシャルネットワークが若者同士の連帯意識を高め、集まる機会を容易にしてきました。こういう情報テクノロジーが今回の活動の多くを支えました。これがかつて、一昔前との大きな違いです。
例えば、ファシズムの時代、日本もそうですが、全体主義国家というのは国家が情報を握るわけです。情報を国家が握って、そして国家の都合の良い情報だけを国民に与える。専制国家とかファシズム体制ではそういったことが当たり前のようにされてきました。それが今や情報を国家が占有するということはできなくなりました。
そうではなくて、むしろ市民が情報を使うことによって、国家を打ち倒していく、そういう時代になりました。これも時代の大きな変化を表しています。もちろん、インターネットを国が遮断するということは可能ですが、それをかいくぐって様々な情報のやりとりがなされているわけです。
民主化運動とイスラームの関係
【チュニジアの場合】
まずチュニジアです。ここでは中東における民主化の導火線となったジャスミン革命が起こりました。元のきっかけは、失業青年の行為でした。彼は十分な教育を得ていながら職を得ることができませんでした。それでも家族を養うために、やむを得ず路上で果物を売っていました。
しかし、許可なく路上で果物を売るということは違法でした。そうだと分かっていても家族を養うためには売らざるを得ませんでした。そこに警察官がやってきて、許可を得ているのかどうか問答になり、平手打ちをされたそうです。終いには罰金を課せられました。
その青年は、様々な形で押し付けてくる、抑圧してくる政府の現状に対する怒りというものを焼身自殺という形で示したのです。
イスラームでは自殺は非常に罪な行為とされているため、日本の自殺率と比べて非常に低いです。その青年はイスラームで罪とされている自殺をしてまでも自分のやるせなさ、この社会が抱えている不条理を訴えました。
彼が焼身自殺を図ったことにより、そのことを知ったほかの若者たちは、みんなが抱えている、そのつらさを共有するようになりました。それにより苦難のネットワーク、つらさのネットワークというものが、情報機器を介して瞬く間に広がっていきました。そしてまさにコップから水があふれ出ようとしていた時に焼身自殺という最後の一滴が注がれ、水があふれ出すことになったわけです。本当にまじめに生きようとしている人たちが、まともな生活ができない。このおかしさはどこから来ているのでしょうか。
これは公正というイスラームの概念と非常に関係があります。この社会は公正さを維持していません。 つまり、チュニジアという国にはそこそこの産業があり、また西洋化を遂げていますが、結局ベンアリ大統領とその一家だけが私腹を肥やしているのです。これは許しがたい不公正だということで、この公正さを問う怒りというものがチュニジアに蔓延していきました。
つまりアッラーという神の前にすべての人間が公正に生きる権利を等しく与えられているにも関わらず、それが保障されていない現状というのはおかしいわけです。それは、単に失業率が高いということでなくて、イスラーム的な価値観、公平さから見たおかしさへの気付き、不公正への気付き、こういったことが運動の起点にあったといえます。
多かれ少なかれ、他の地域に関しても同じことがいえます。たくさんの石油を産出しているのに、なぜ一部の者だけが富み、そして、多くのものが貧しさを我慢しなければならないのか、そういう不満です。
【エジプトの場合】
エジプトでは、スンナ派が人口の多くを占めていますが、他の国と比べてコプト教会といわれる、非常に古いタイプのキリスト教徒がエジプトには多数住んでいます。実は今年の1月1日、アレクサンドリアでコプト教会の大きな事件が起こり、世界中に報道されました。この少数派のコプト教会と多数派のムスリムがどう共存していくかという問題もありますが、今回の場合は主にイスラームの視点から見ていきたいと思います。その中でムスリム同胞団が何をしたのかということです。
【リビアの場合】
リビアは圧倒的なスンナ派中心の国家です。しかし、これは今刻々と状況が変異しているので、これからどうなるかは本当に分かりません。新聞などでご承知の通り、政府軍の方が反政府軍の拠点地を制圧しようとしています。そういう状況の中でNATO(北大西洋条約機構)を中心とする国際社会がどういう形でそれに関与できるのか、考えあぐねているところです。非常に難しい状況です。これは国内の状況というより、国際社会がどういう判断をするかということが、非常に大きな問題になっています。
【バーレーンの場合】
それから、バーレーン。シーア派とスンナ派の対立ということでしばしば報道されています。シーア派とスンナ派が考え方とか、教義の違いで対立するということは普通ありません。基本的に同じイスラームです。ところが、少数派のスンナ派が多数派のシーア派を支配するという、ある種のねじれ状況というものがあるのです。結局、多数派のシーア派がずっと我慢を強いられていく。そのストレスが爆発してしまっているということです。結果的には、宗派対立というような形になっています。
イスラームの民主化運動は「宗教」とは関係ない?
これは新聞などの報道で関係なかったという言い方をされることがあります。今の若者は特にイスラーム的な価値を求めて民主化運動をしたわけではなくて、そういったものはむしろ影を潜めて、民主化そのものを求めたという言い方もされてきました。ただし、これはいくつかの分析が必要になってきます。
イスラーム主義と呼ばれるイスラームを中心として活動する団体があります。この代表的なものがムスリム同胞団です。今回のエジプトにおける民主化運動の中では表にあまり出てきませんでした。そして、同じ同志社大学のエジプト人、サミール・ヌーハ先生に確認を取ったのですが、これからも恐らく出てこないだろうとのことです。これはいくつかの理由があります。
例えば、1991年にアルジェリアでイスラーム主義政党が選挙で圧倒的に勝ったことがありました。ところが勝つや否や翌年に軍部がクーデターのような形でそれを潰してしまったという大惨事がありました。
それから、2006年だったと思いますが、ハマスがパレスチナで非常に公正な形で選挙をし、政権を取りました。
ところが、今度は日本を含む国際社会が「ハマスが政権を取るなんてけしからん」とアメリカもほかの国も、一気にハマスに対して弾圧を強めていきました。ですから、それは国内的な危機、あるいは国際社会からの圧力、いずれにしても、イスラーム主義政党が一気に議席を増やすようなことがあれば、これは何かそういうことの二の舞いになるといわれているのです。
これに関して恐らくムスリム同胞団は今後もかなり慎重な態度を取っていくだろうと予想されています。これは非常に賢明なやり方です。
これらは政治運動であっただけではなく、イスラーム的な公正を求める宗教運動でもあったということ。単に民主化ということだけでなく、公正さが実現されている社会なのかどうか、これはイスラーム的な価値と非常に深く関係しています。今回の民主化運動は、例えばエジプトを指して、若者たちがツィッターやフェイスブックを使って自由そのものを求めた闘争であり、イスラームは関係なかったといわれます。これは注意が必要です。
民主化する時には宗教、具体的にはイスラームは関わるべきではない、イスラームは関係するべきではないという形の違う批判にスライドさせていく可能性があるからです。
ですから、「何々である」と、「何々であるべき」という二つの言葉は分けて考えないといけません。特に、関係がないという言葉の中には、関係すべきではないということへの誘導がしばしばあります。
アメリカやヨーロッパは、ムスリム同胞団に代表されるような、彼らの言葉で言うならばイスラーム原理主義のようなものが台頭してきたのでは、これからの中東政策が非常に不安定になっていくということを恐れているのです。
ですからイスラームが全面に出ない形で、イスラームを排除する形で民主化を進めてほしい。そういうイスラームを中心とした改革というものに対して、非常に大きな危機感を持っています。
この危機の源泉はどこにあるかというと、これはイラン・イスラーム革命です。これは1979年に起こりました。パーレビーという王制があり、アメリカと非常に友好な関係を築いていました。
しかし、ある時ホメイニという人によって一気にその王制が転覆させられ、イスラーム主義を掲げるような国家が誕生してしまったのです。こういうイラン型の革命が起こらないようにということで、アメリカなどはその点を非常に恐れていると思います。もちろん、イランとそれから今起こっている中東の変化は大分違いがあるので、一緒にすることはできません。
タハリール広場での民主化運動① ところで、イスラームが関係あったのかどうかということですが、今回のこの大きな変化というのはイスラーム以前のもっと普遍的な宗教性が関係していたのではないかと私は思います。
これは、お祭り的な要素が非常に強いのです。もちろんそこに死者も出ています。ですから楽しむというお祭りだけではありません。ともにそこに居合わせて人々が祝祭をする時には犠牲者を悼むという感覚もあるわけです。犠牲になったものに対して同情し悼んで、同時に日常の中から非日常を作り出していく。そういう祝祭空間のようなもの、お祭りのような空間がそこで生み出されていくわけです。これはイスラーム的であるかないかということよりも、恐らくすべての宗教の違いを超えて、人間が根源的に持っているような欲求だと思います。新しい秩序を作り上げていくために、お祭り的な共同体、感覚を持っていたわけです。
ツィッターやフェイスブック、携帯電話。これは確かに遠隔地にいる人間をつなぐことができます。ところが、それだけでこういう感覚が起こったかというと、そうではありません。その道具を使ってタハリール広場に集まるわけです。そこで自分たちの国をどうしたら良いのかということを考えていくわけです。そういう身体的な感覚、これがやはりその祭りの感覚です。
ですからフェイスブック革命というように、あまり情報機器のみにアクセントを置きすぎると状況を見誤ることになると思います。そういったことをきっかけにしながら、大きなお祭り的な革新がありました。
イスラーム復興運動≠イスラーム原理主義
ハリール広場での民主化運動② タハリール広場での民主化運動② これは一つだけポイントを言いますと、西洋からの独立です。日本も同じ一つの時代を通過していくわけですが、近代化をしなければなりません。
しかし、西洋にどのように立ち向かっていったら良いのかということが課題としてあるわけです。そういった中でイスラーム的な価値を立てながら西洋を超していき、同時に近代化を遂げていくという様々な運動が起こりました。その中でも特に広範囲に民衆の心をつかんだのがムスリム同胞団で、これは後にハマスなどの過激なグループもそこから分派していきます。ムスリム同胞団はイスラーム復興運動を考える上で非常に重要な団体です。
そして、より一般的にいえば、イスラーム原理主義とは何かということも関係してきます。ここで私が注意を促しておきたいのは、ムスリム同胞団に代表されるようなイスラー厶復興主義グループを欧米的な言葉でイスラーム原理主義と呼ぶと誤解してしまうということです。イスラーム原理主義という言葉で言ってしまうと、ほぼテロリストと同義になってしまいます。 非常に危ない集団という感覚がありますが、そうではありません。ですから、言葉の使い方を注意していく必要があります。
日本社会との関係
今回の民主化運動のことを分析していくと、繰り返し思わされることは、そもそも宗教とは一体何なのだろうかということです。政教分離が一応整然とされている日本も含めて欧米社会では、宗教というのは心がけの問題です。
人間の心を扱って、そういう心の問題というのはそれぞれの個人のうちにしまい込む、あるいはそれぞれの宗教教団の中でしまい込むべきものであって、外には出してはいけないということです。ところが、実際にはそうは簡単にはいきません。思っていることを人間はやはり外に出したいわけです。
イスラームの場合に関して言うと、フランスにおけるベールの問題があります。これは今年からヒジャーブという被り物を学校で被ってはいけないと禁止が決まりました。それよりも前にフランスはニッカブという女性が顔全体をかぶるような被り物、これを公的な場所でかぶってはいけないという法律を作ったのです。
これは問題を含んでいます。つまり、ムスリムの女性たちからすればそれは何も押し付けられているわけではなく、自分たちの信仰の現れとしてそういうものを被っているのだということを言うのですが、それがなかなかフランス社会では認められないわけです。そういったせめぎ合いというものがあります。
私たちは宗教を心の問題として考えがちですが、イスラームにとっては心の問題とか社会の問題という区別はありません。これは政治の世界も心の世界も本当に一体的なものだからです。
社会を変えていく。そのために信仰が役に立たなくてどうするのだという感覚があります。ムスリム同胞団はそういう意味では典型的な世直し運動です。医療、教育、福祉、そしてスポーツジムまで持っています。そういう様々なことを介して人々の啓蒙活動をしていく。それによって社会そのものを底辺から変えていこうという世直し運動です。そういうものがイスラーム復興運動の根っこにはあります。
民主化と宗教というテーマですが、現代において世直し運動というのはどういう形であるべきなのか。これは日本のそれぞれの宗教も問われています。つまり事柄を心の問題だけに還元してしまって良いのか。社会との関わり、宗教の社会性ということをどう考えるのかという問題があります。
それから、民主化のためには暴力は正当化されて良いのか、これは難しい問題です。今リビアで反政府軍が戦っています。政府軍と戦うためには武器を取らなくてはいけないわけです。
自分たちの自由、民主化を勝ち取るために、相手を倒さなければならないという状況の中で、私たち日本は、我々は平和主義で暴力を否定するから、そんなことだめですよ。いくらやりたくても絶対に武器を使ってはいけませんと、そういう状況の中でも言うことができるのでしょうか。
つまり私たちが戦後掲げてきた平和主義というものが、国際社会でどういう貢献ができるのか。現実の問題としてそれがどう機能するのかということを考えていく必要があります。国内だけで平和が大事だと唱えるだけではこれは非常に虚しいです。
これは平和だからいえる絵空事になってしまいます。こういった問題も考えていく必要があります。そういう意味では今回様々なテーマを含んでいます。宗教と平和、あるいは暴力を巡る根源的な問いもここから見ていくことができると思います。
小原克博(こはら かつひろ)
1965年大阪生まれ。一神教学際研究センター長。同志社大学神学部教授。専門はキリスト教思想、宗教倫理学、一神教研究。先端医療、環境問題、性性別などをめぐる倫理的課題や、宗教と政治の関係及び一神教に焦点をあてた文明論、戦争論に取り組む。
著書に『宗教のポリティクス-日本社会と一神教世界の邂逅』(晃洋書房)、『神のドラマトゥルギー-自然・宗教・歴史・身体を舞台として』(教文館)、『原理主義から世界の動きが見える-キリスト教・イスラー厶・ユダヤ教の真実と虚像』(共著、PHP研究所)、『キリスト教と現代-終末思想の歴史的展開』(共著、世界思想社)など。

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