H.E.Ambassador Mr.Noureddine Ben Farhat HAHED
チュニジア大使
2009年5月5日、に綾部・大本長生殿で執行された「大本みろく大祭」に、ヌルディーン・ハシェド駐日チュニジア大使(写真上中央)と小野安昭・前駐チュニジア日本大使が参拝、祭典後、共に挨拶を述べ、満場の喝采をあびた。
チュニジアはアフリカ北部、地中海に面する共和国で、1956年にフランスから独立。国民の大多数はイスラム教徒のアラブ人で、大使も敬虔なイスラム教徒である。
人口は1,025万人で、面積は日本の約5分の2。首都のチュニスは「カルタゴの遺跡」があることで有名。中庸を重んじるチュニジアの大使として、世界平和のために真剣な取組みをしている大本・人類愛善会に対し、心から感謝と尊敬の念を表し、国際平和に向けてお互いに手を携えていきたいと挨拶。
続いて、前駐チュニジア日本大使の 小野安昭氏が挨拶。
小野・前大使は、「日本の精神の神髄に触れる行事に参加できたことに感激しました。」と述べ、また昨年7月にスペインのマドリッドで開催された世界宗教者会議に参加した折、島本邦彦・前大本本部長、そして矢野NPO法人大本イスラエル・パレスチナ平和研究所専務理事に出会い、それが契機で今回の参拝となったことを説明。
以下、チュニジア大使の講演要旨。
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チュニジアの人口は1,000万人ですが、歴史的にも地理的にも、日本とチュニジアは共通点が多いと思います。
チュニジアは地中海に面し、アフリカ文化、アラブ文化、ヨーロッパ文化が混ざりあったところです。
日本も同じように、ロシア、中国、韓国に接していて、チュニジアも日本も共に古い国です。
そしてチュニジアは長い歴史を持っていますので、様々な民族、様々な宗教が共存していることが自慢できるところです。
また、チュニジアは1956年にフランスから独立してわずか7ヶ月後に、日本との外交関係を構築しました。
今日、チュニジアと日本とはビザなしで交流ができますが、この事実が日本との親密な関係を照明しています。私たちにとってこれは誇るべきことです。
平和への取組みについてお話しますと、チュニジアは1955年、イスラエルとパレスチナの二国間の共存を提案しました。もし、この提案がイスラエル側に受入れられていたのなら、今のような中東紛争は起きていなかったでしょう。
チュニジアの首都チュニスにPLO(パレスチナ解放機構)の本部があった関係で、1993年の「オスロ合意 ( イスラエル政府とパレスチナ解放機構(PLO)によって結ばれた和平への枠組みをとりきめた合意)」では、チュニジア大統領が大きな役割を果たしました。このことは忘れてはならないことです。
次に小野・前大使が挨拶。
外務省に20年近く在籍し中近東を担当していた関係で、イスラム諸国との付き合いが長い。1973年の「石油危機」の時に、今後は中近東との付き合いを深めなければいけないということになり、それ以降、15億人という世界の4分の1の人口をしめるイスラム諸国との関係を真剣に進め、相互交流に務めてきたことを紹介した。
最後に両大使は、参加者との活発な質疑応答に応じていた。
(報告:木村且哉)
Noureddine Ben Farhat hached(ヌルディーン ハシェッド)
生年月日:1944年チュニジア共和国スファックスで生まれる。
使用可能言語:アラビア語、仏語、英語、伊語。
【学歴】
パリ大学(フランス)社会経済学部博士号取得(観光経済学専攻)
ニース大学(フランス)修士号取得(現代史専攻)
1976-78年 マハデイア県知事
1978年 外務省官房
1979-81年 チュニス市南部(選挙区)より衆議院議員として選出
1981-84年 駐ベルギー大使(ルクセンブルグ及びEC代表部大使兼任)
1984-85年 駐アルジェリア大使
1985-86年 労働大臣
1987-92年 アフリカ統一機構ジュネーブ代表部総代表、大使
1993-95年 駐イタリア大使
1996-2005年アラブ連盟チュニス・センター事務総長補佐官
2002-2006年アラブ連盟事務局次長
2007年 外務大臣特別顧間
2007年12月 駐日大使
【その他】
1964-65年 青年・スポーツ・社会省専門家、1973-76年 チユニジア観光会社社長、1978-79年 公共工事関連企業社長、1980年 社会党経済。社会部長、1980-81年 労働組合和解。国家委員会委員長、1981年4月 UGTT(労働組合機構)特別会議議長をつとめる。
チュニジア、ベルギー及びイタリアより受勲。観光、労働組合等に関する多数の著書あり。


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