誰にでもわかる世界の紛争(その2)
常務理事・主任研究員 矢野裕巳
”カシミール ”
人はなぜ争うのか?
人類の歴史は戦争の歴史であるとも言われます。戦争が悪であると考える人は多いと思います。それでも、今なお世界には多くの紛争が存在し、多くの人達が苦しみ、命の危険にさらされています。世界各地で勃発する争いのいくつかを取り上げ、その背景を広くそして重点的に解りやすく学んでいきましょう。それ ぞれの紛争の背後にある共通の問題点を共に検証する事が最終的な目標です。
今回は カシミールについて取り上げます。
◆カシミール紛争と核抑止力
「米国は、核を使用した国として道義的責任がある。核兵器のない世界に向け、具体的方策を取る」 オバマ米大統領、2009年4月5日、プラハでの演説です。世界に今だ存在する多くの紛争の中で、紛争当事国のインド、パキスタン両国が共に核保有国というカシミール問題は、ある意味でもっとも核兵器使用への脅威と言えます。ただ核抑止力を信じる人は、両国の核保有による抑止効果で、逆に大きな戦争が起こらず、平和を維持できると考えます。
抑止力とは、自分が攻撃すれば相手から報復を受けるという認識が基礎となっています。
しかし、現在の紛争が国家間の争いだけでなくテロリスト対国家間に広がっている事を考えれば、報復攻撃されて困る都市を持たないテロリストには、抑止効果がない事になります。可能性は高くはないと思いますが、テロリストが核を手に入れ使用する際の抑止は 効かないでしょう。どう考えても、お互いに核を持つ事によって恒久平和が維持できるとは 私には考えられません。
◆カシミール紛争の発端


カシミールは英語でKashmir(カシミア)、最高級毛織物の名でよく知られているインド北西部の地域です。1947年8月、インドは200年に及んだ英国支配から独立しました。
当時インドは大 小およそ600もの藩王国に分かれて統治されていました。それぞれの王様(藩王)がヒンドゥー教徒の場合はマハラジャ、イスラム教徒の場合はナワーブと呼ばれていました。
16世紀インドは「ムガール帝国」という国でした。1600年、英国は「東インド会社」 を設立し植民地化をすすめます。19世紀中頃におこったセポイの乱(英国支配に対する インド人の反乱)をきっかけに、ムガール帝国時代の藩主に英国に対する忠誠を条件に封建的土地所有を認め、分割統治を始めます。ヒンドゥー教徒とイスラム教徒が結束して、英国に反乱する事がないよう周到に統治を進めて行きます。現在のヒンドゥー、 教徒、イスラム教徒の軋轢もこの時代の英国支配体制に原因があるのであって、それ以前には共存の歴史も多く残っています。
独立時それぞれの藩王国の多数がヒンドゥー教徒の地域はインド、イスラム教徒の多い地域はパキスタンに統合されました。その結果英領インド帝国は、インド、 パキスタンに分かれてそれぞれ独立することになりました。
ところが、カシミールは 藩王はヒンドゥー教徒ですが、住民の多数はイスラム教徒であったためインドに帰属するか、パキスタンに加わるかの判断が難しかったのです。さらに問題を複雑にしたのは、当時のカシミールのハリー・シング藩王はインド、パキスタンのどちらにも属せず自国の独立を求めました。
あくまでも独立を望む藩王とパキスタン帰属を望むイスラム住民の衝突が勃発。その時イスラム住民を守る名目でパキスンタンが軍事介入。ヒンドゥー教徒である藩王はインドに軍事援助を要請。その時のインドの藩王に対する条件は、 カシミールをインドに帰属させる事でした。
これが、第1次インド・パキスタン戦争であり、カシミール紛争の発端でもあります。947年の10月末の事でした。
◆第2次、第3次インド・パキスタン戦争
戦闘は長期化、泥沼化しますが、1948年12月31日 第1次インド・パキスタン戦争は、国連の調停により停戦を迎えます。調停案によりカシミールの3分の2はインド。残りの3分の1はパキスタンにと分割領有されます。あくまでも、暫定的な決定で、両国ともカシミール全域の領有をあきらめたわけではなく、対立の解消にはほど遠い内容でした。
停戦は実現したものの、緊張関係が続き、1965年9月、インド・パキスタン両軍が再び武力衝突。第2次インド・パキスタン戦争 が起こり、翌年、国連仲裁で停戦。停戦ラインに沿ったインド・パキスタン両軍のにらみ合いが続く事になります。1947年の独立時パキスタンはインドをはさんで、西パキスタンと東パキスタンに分かれていました。同じイスラム教徒でも民族が違っていて、 1,500キロ以上離れた飛び地では、公平にパキスタン人として対応する事が難しかったのかも知れません。
1971年、東パキスタンがバングラディシュとしてパキスタンから独立します。大量の難民がインド国内に流れ込む事を恐れたインドは東パキスタン独立のため介入。第3次インド・パキスタン戦争となりました。パキスタンは2週間で降伏。東 パキスタンはインドの力で「バングラディシュ」として独立します。この戦争でパキスタンは国土の20パーセント、人口の60パーセントを失う結果になります。
◆カシミール紛争 もう1つの当事国
1959年、ダライ・ラマ14世のインド亡命以来、中国とインド間では小規模の小競り合い が頻発していました。1962年、隣接する国境線域で、2国間の大規模な軍事衝突が始まりました。戦いは中国の勝利となり、カシミールの一部を占領、その支配は今も続いています。カシミールの20パーセントは中国、30パーセントはパキスタン、50パーセントをインドがそれぞれ実効支配しています。現在も3カ国が互いに領有権を主張して譲らず、平和的解決にはほど遠い状態になっています。
◆冷戦的思考からの脱却を!
1962年の中国との紛争に敗戦したことは、インドを核開発へ走らせた要因の1つだと思います。1974年5月インドは核保有を宣言。パキスタンとの軍事バランスがくずれます。インドは通常兵器でパキスタンに十分対抗出来ました。核武装は対中国を意識していたと思いますが、結果として、パキスタンの核保有を進める事になります。第3次インド・パキスタン戦争以後30年カシミール問題は解決はされてはいませんが、少なくとも4度目の全面戦争は食い止められています。核抑止効果を信じる人には、代表的な事例かもしれません。
冒頭述べたように核兵器使用に対する両者の恐怖が戦争抑止と安全を保証するというのは、米ソ冷戦時代の考えでした。核兵器が国家ではなくテロリストに渡る可能性がゼロではない今、この冷戦的思考から少しずつ抜け出す知恵を人類が模索しなければならないと強く思います。
即座に核廃絶が可能だとは思いませんが、オバマ大統領の宣言した「安全保障上の核の役割を話し合いで低くする事」から始める事は出来るはずです。
