誰にでもわかるパレスチナ問題(その49)
常務理事・主任研究員 矢野裕巳
新聞、ラジオ、テレビ等で最近毎日のように耳にし、目にするパレスチナ問題、現代の中東問題も、根本原因はパレスチナ問題にあるという報道を聞かれた人もあると思います。
それでは、パレスチナ紛争とは何なのか?また、いったい何が問題なのかを数回に分けて考えてみます。
まずは、おおまかに古代から現代までの歴史を考えてみましょう。
ヨルダンハシミテ大国 3
◆ ”参戦した過ち?”
一般に広く語られるヨルダンの過ちの1つが前回に紹介した 第3次中 東戦争(1967年)への参戦でした。ヨルダンが参戦しなければ、イスラエルの攻撃はなかったと思われます。そうすれば、ヨルダン川西岸・東エルサレムをイスラエルが占領することもなかったのです。
◆”参戦しなかった過ち?”
緒戦のアラブ側の勝利によって対イスラエル交渉をアラブ側に有利に運んだといわれる 第4次中東戦争(1973年)にヨルダンは参戦しませんでした。
戦わなくてもよかったと言われる第3次中東戦争への反省、反動かもしれませんが、この不参戦によって以降の対イスラエル交渉での発言力を弱めたとも言われています。
http://www.jinruiaizenkai.jp/NPO/kolumno/kolumno-mokuji/darepare-9.html
◆”もう一つの参戦しなかった過ち?”
非産油国で天然資源に乏しいヨルダンは外国の援助、産油国や先進国に大きく依存しています。 ヨルダン政府は建国以来、伝統的に親米路線をとってきました。国の存立のためそうせざるをえなかったという方が適切かもしれません。ただ、ヨルダンは人口およそ600万人のうち約70%がパレスチナ人であり、元来、反米、反イスラエルの意識が強い事は容易に理解できると思います。
サミールナウリ駐日ヨルダン大使と筆者(2008.3.25 東京ヨルダン大使館にて) 1991年の湾岸戦争で、国連決議を無視するイラクは、サダム・フセインがこれまで国連決議を無視した行動をとってきたイスラエルをダブルスタンダード(パレスチナリンケージ)として持ち出します。これに振り回されて、ヨルダンはイラク支持に立ちました。
http://www.jinruiaizenkai.jp/NPO/kolumno/kolumno-mokuji/darepare-12.htmlにイスラエルを 一方的に支持する米国への非難がパレスチナ人を刺激し、ヨルダン国内に反米デモを引き起しました。伝統的に反米的なシリアが 国籍軍に加わり、伝統的に親米的なヨルダンがイラクのサダム・フセインを支持したのです。
パレスチナ、スーダンと共に負け組になったヨルダンは戦後大きな国家のつけを払わされることになりました。
イラクを支持したことで、湾岸諸国やアメリカからの財政的援助はストップし、クウェートやサウジアラビアへの出稼 ぎという大きなヨルダンの収入減が断たれました。30万人とも言われるパレスチナ人が出稼ぎ地から追放され、大変な数の失業者を生み出したのでした。
◆外交官として最も苦しい時代でした!
湾岸戦争によって反米国家としての烙印を押されたヨルダンは湾岸戦争後、 政治的に対イラク強硬姿勢を示し、アメリカに接近します。湾岸戦争を挟んで、ヨルダンにとって最も困難な時代で、対米関係修復に苦慮した経験を 持つサミール・ナウリ駐日ヨルダン大使は 次のように私に語ってくれました。
「外交官としての私の長い体験の中で、このときほど苦しい時はなかったですね、当時のいきさつをまとめれば何冊もの本になるはずです。」
http://www.jinruiaizenkai.jp/Japana/ja-kolumno/j-naouri/naouri-j.html
在ニューヨーク、ヨルダン国連代表部次官としての 当時の体験は是非将来1冊の本にまとめていただきたいものです。
◆公平な仲介者として
何度も繰り返し述べていますが、中東問題、パレスチナ問題は見方が変われば意見は まったく180度変わってきます。もちろんその他の紛争にも同じことがいえますが、その複雑さにおいては他に比較できないかもしれません。 ヨルダンの外交姿勢を日和見主義と批判し、イスラエル建国以前からの同国との密約を批判する人もいます。しかし私は米国、イスラエルともチャンネルをもつヨルダンは 小国ながら中東和平推進に最も重要な役割を果たす国であると思います。
◆米国との距離感
エジプトはヨルダンよりも早くイスラエルとの国交を結びますが、アラブの大国であるという点でどうしても パレスチナ問題の公平な仲介者には限界があるように思われます。
2007年12月、私は初めてシリア、ヨルダンを3日間ずつ訪問しました。冷戦後の中東において米国との距離感がいかに国の発展に重要であるかを2国の比較から現実の問題として実感しました。湾岸戦争で多国籍軍に加わり勝ち組に入ったシリアは 継続的に米国との関係を改善することが出来ませんでした。湾岸戦争でイラクに同情的な立場で多国籍軍に加わらなかった ヨルダンはその後の外交努力で米国との関係を修復しました。1994年のイスラエルとの平和条約調印以来多くのイスラエル人がヨルダンを訪れています。
対米追随という問題が、大衆レベルで噴出する危険を常に抱えながらもヨルダン国家発展への舵取りがうまくいっているというのが私の考えです。
