誰にでもわかるパレスチナ問題(その6)
常務理事・主任研究員 矢野裕巳
新聞、ラジオ、テレビ等で最近毎日のように耳にし、目にするパレスチナ問題、現代の中東問題も、根本原因はパレスチナ問題にあるという報道を聞かれた人もあると思います。
それでは、パレスチナ紛争とは何なのか?また、いったい何が問題なのかを数回に分けて考えてみます。
まずは、おおまかに古代から現代までの歴史を考えてみましょう。
◆「イスラエルの建国とパレスチナ難民」
1948年5月14日国連分割決議をもとに、イスラエルの独立が宣言されました。残念な事に、新しい国の誕生は新しい戦争の始まりとなったのでした。
嘆きの壁 筆者撮影 19世紀の後半に始まるユダヤ人のパレスチナ移住開始以来ユダヤ人、パレスチナ人の衝突はいたるところでは起っていたのです。
しかし、このイスラエル建国を機に、本格的に、また、ちょっと変な表現ですが、正式に、周辺アラブの国々が新しい国家であるイスラエルに戦争を始めました。
周辺のアラブの国々とは、シリア、レバノン、トランスヨルダン、エジプト、イラクです。このアラブ5ヵ国はイスラエルが独立宣言をおこなった5月14日のうちに宣戦布告しました。アラブ陣営は兵員数、武器、装備の点でユダヤ側を大きく上回っており、いったん戦闘が開始されれば、アラブ側の圧勝に終わると考えていました。
ところが、初戦で苦しんだものの最終的には、イスラエルは国連分割案でユダヤ人に与えられた土地を上回る領土を 獲得することになりました。これは、全パレスチナ国土の3分の2を占めています。アラブ陣営から考えれば、停戦条約で決められた分割線は、この戦争の停戦時における停戦ラインに過ぎず、暫定的な線をイスラエルの恒久的な国境と認められないと主張しています。
これにより、新生イスラエル国は、周辺アラブの国々との間に国境が現実に制定されていないという問題が残りました。イスラエルはこの戦争を『独立戦争』と呼び、パレスチナ人は『パレスチナ戦争』と呼びますが、一般には『第一次 中東戦争』といわれます。
第一次中東戦争が生み出した問題点は『国境』の問題に加えて『難民の処遇』でした。戦争の惨禍から逃れるため周辺のアラブ諸国に避難していたパレスチナ人の帰還はイスラエルによって拒否されました。これにより、60万とも70万ともいわれるパレスチナ難民が発生しました。
パレスチナ難民問題は、中東和平プロセスの中でも、核心部分なので、アラブ、イスラエル両陣営とも全くちがった主張をくり返してきています。もともとの発生原因についてもアラブ側は、イスラエル軍がパレスチナ住民を強制的に追い立て、難民にしたと主張。イスラエルによると、戦争中アラブ陣営がパレスチナ人に脱出するよう呼び掛けた という事です。アラブ軍がイスラエルを攻撃するのでその邪魔にならないようにと。そして、アラブの勝利の後に戻るように、説得したというのです。
いずれにせよユダヤ人の国家建設という長年の夢が実現する一方、故郷を失うというパレスチナ人の苦難が始まりました。
この事は、それ以後、半世紀以上たってなお解決に至らない長い長い闘争の歴史の始まりにすぎなかったのです。
