サダト大統領暗殺30年によせて
理事長 鹿子木 旦夫
◆”チュニジアの独裁政権の崩壊”
この1月、北アフリカ・チュニジアで大規模な市民デモが続発し、23年間もの間権力を掌握していたベンアリ大統領が国外に逃亡し、あっけなく独裁政権が崩壊しました。ことの発端は、昨年12月チュニジア中部で、失業中の青年が道路上で野菜売りをしようとして咎められ、抗議の焼身自殺を図ったことでした。言論統制に加え、高い失業率、食料品の高騰に若者の不満と不安が一気に爆発したと言われています。
また、インターネット、フェイスブックにより大統領一族の豪勢な暮らしぶりや汚職、利権あさりが暴露されたことが事態を加速度的に展開したと報道されています。この政変はエジプトにも飛び火し大統領の退陣を求めるデモが続き、ムバラク大統領も次期選挙への不出馬を表明せざるを得ませんでした。エジプトはアラブ世界の盟主をいわれる国だけに、エジプトにおける今後の情勢が他の長期独裁国家にどのような影響を及ぼすのか不透明で、1989年に東欧で起こった民主化のドミノ倒しがアラブ世界で再現する可能性も否定できない状況で、今後の中東和平を推し進める構図と道筋が大きく変化をきたすのは避けられません。
一方、2月3日の時事通信によるとエジプト・ムスリム同胞団はムバラク後の新政権の主導に意欲を示し、「イスラエルとの平和条約」破棄を言明しているとのことです。いよいよ情勢は混とんとしてきました。歴史の歯車が戻らないことを祈りたいと思います。
◆「イスラムと日本宗教者の出会い
さて、昭和50(1975)年12月のことです。世界連邦日本宗教委員会は比叡山長﨟の葉上照澄師と日本ムスリム協会会長の斉藤積平氏をエジプトのアズハルに派遣しました。葉上師が朝比奈宗源老師の「中東和平にはユダヤ教、キリスト教、イスラムの三大一神教の対話がまず必要、そして唯一の被爆国日本の宗教者の役割はその懸け橋になること、自分の代わりに行ってほしい」との懇請を受けてのエジプト行きでした。
アズハルはイスラム最高の神学府で、有名なモスクと大学があります。そのアズハルの総長を辞されたばかりのモハメッド・ファハーム博士に葉上師一行は会うことができました。ファハーム博士はソルボンヌ大学を出られた碩学で、80歳の高齢でもありましたが、葉上師の訪日の要請を「アッラーの思し召しです。喜んで参ります。」と二つ返事でお受けいただいたそうです。
その理由は、かってファハーム博士がアレクサンドリアで日本の青年にアラビア語を教えたことがあり、その青年が食事の前後に必ず合掌する様子を見て、日本という国がどんなにか深い宗教心をもった国民であり、その宗教はどんな宗教なのだろうと興味と尊敬を持っていたので、是非一度日本を訪ねたかったということだったそうです。
ちなみに、その青年とはライオン最少と云われた浜口雄幸氏のの娘婿で、後にアフガニスタンの初代大使になられた北田正元さんという方だったそうです。 そして翌、昭和51(1976)年、ファハーム博士はイスラム最高審議会のオーエイダ事務局長、アズハルの教授一行8人を伴って来日され、世界連邦日本宗教委員会主催の第8回平和促進宗教者大会に特別ゲストとして「イスラムの倫理と平和」と題して講演をしていただきました。これが日本の宗教者とイスラムの最初の公式的な出会いでありました。
そして大会後、鎌倉の円覚寺、伊勢神宮、比叡山などを訪問し宗教者との語らいを深めるなかで日本の宗教者との信頼関係が醸成されて行きました。葉上照澄師を始め、関係された宗教関係者のエジプト訪問はサダト大統領の死後も含めると10回近くを数えたそうです。
◆サダト大統領のイスラエル訪問と単独和平
翌年(昭和52年)5月、イスラム最高審議会の招待を受け、葉上照澄師を団長に、知恩院の稲田稔界師、明治神宮宮司の副島広之氏、大本の広瀬静水師、立正佼成会の長沼基之師、ムスリムの斉藤師らがエジプトを訪れました。カイロ郊外のキアナート・エル・ハイリィヤー宮殿でナセル大統領後継のサダト大統領、当時副大統領のムバラク氏と会談の機会がありました。サダト大統領は背の高い精悍な感じがする、熱心なイスラム教徒で額に礼拝だこができていたのが印象的だったそうです。
この会談の際は勿論、その後の書簡のやり取りの中でも、葉上照澄師は三教の対話と和平への行動を進言されました。そうした日本の宗教者の熱い思いに背を押されてサダト大統領は決断されたのでしょう、その年の11月19日劇的なイスラエル訪問が実現し中東の歴史が大きく転換し始めました。
サダト大統領は、イスラエル国会(クセネト)で次のような演説を行いました。(要旨―11月20日付毎日新聞)
「今まで血なまぐさい戦いのあった世界。そしていままで、しばしば人間による戦争が傷つけてきた世界。戦争によっては、勝者も敗者もないのである。敗れるのは人間である。神が造りたもうた人間が敗者なのである。今日、私が、皆さんのところにやってきたのは、新しい生活を創りだし、平和を樹立するためである。アラブ世界のすべての人々は神を信じている。イスラムであろうと、キリストであろうと、ユダヤ教であろう と、神の教えはわれわれに、互いに愛し、平和であることを求めている。」
その後、カーターアメリカ大統領の仲介でキャンプデービッド合意にこぎつけシナイ半島の返還が実現したこと、イスラエルとの和平の功績により、ベギン首相とともにノーベル平和賞を受賞したことはご承知の通りです。
◆シナイ山での三教の共同礼拝
サダト大統領がイスラエルを電撃訪問したその同じ年(昭和52年)の2月綾部市にある大本の神殿、みろく殿においてニューヨークの聖ヨハネ大聖堂の聖堂長ジェームス・パークス・モートン師の司式によりキリスト教礼拝式が行われました。祈りの主題を「平和と一致」としたもので、異なった宗教間の共同礼拝として注目を集め、参列した湯浅八郎国際基督教大学学長は「聖なる冒険」「聖なる空間の共有」として今後の諸宗教間の対話と和解に大きな示唆を与えるものと評価されました。
この礼拝式に参列された葉上照澄師は、サダト大統領への和平に対するお祝いの手紙に添えて、シナイ半島返還の際にシナイ山で三教による平和祈願の共同礼拝を行ってはと提案をされました。
昭和54年11月9日、シナイ山山麓ラハの広場でシナイ半島の返還式典が行われました。ラハの広場は、世界最古の修道院、セント・カテリーナ修道院から少し坂を下ったところに広がる平らな砂地で、モーゼに率いられたイスラエルの民がエジプトから脱出したときに野営したと伝えられている場所です。
私も4年前、シナイ山に登山する機会に恵まれましたが、人を寄せ付けないような剣峻な岩山に立って、旧約聖書に思いを馳せました。 この広場での式典の後、イスラム(アズハル総長、アブドル・ラフーマン・ビサール師)キリスト教(コプト派総司教シヌダ三世)ユダヤ教(ラビ、イブラヒム・サソン師)三教がそれぞれの祈りによる共同礼拝を行いました。そしてサダト大統領から緊急に招待され、この歴史的な返還式典と礼拝式に立ち会ったのが、葉上照澄師、聖ヨハネ大聖堂長モートン師、そして大本の広瀬静水師、出口京太郎師の四人でした。
この共同の礼拝の後、サダト大統領は次のような演説をしました。
「このラハの地に三教の共同礼拝堂を創建する。われわれはみな同じアブラハムの末裔である。戦いや争いで兄弟の血を流してはいけない。この聖堂を建設するために世界の他宗教の協力もお願いしよう。そして世界平和の祈りの発祥地にしよう」
◆サダト大統領暗殺とその後の世界の宗教者の決意
残念ながら、サダト大統領は大志半ばで、昭和56(1981)年、イスラム原理主義者の凶弾に倒れました。イスラエル・エジプトの単独和平はパレスチナのアラブ人同胞に対する裏切り行為と受け取られてアラブ諸国とイスラム教徒の反感を招き、国内的にも経済自由化などの政策による急速な貧富の差の拡大など社会不安が増大していきました。そのような中、孤立を深めたサダト大統領は、暗殺という形で人生の幕を閉じられました。
葉上照澄師は当時のことを振り返り、次のように述懐されています。
「キャンプデービッドでのカーター、ベギンとの三者会談は二週間近くかかりましたね。その間、山荘で何をしていたのかと側近に聞いたことがあります。サダトは一生懸命コーランを呼んでいたというのですよ。イスラエルとの単独平和協定でアラブ諸国から孤立しましたでしょ。その時もそのラハの地に来てテントを張ってコーランを全部読み終わるまでの一週間、一人で祈りをささげたというのです。歴史上にこんな信仰心のある政治家がいままでいましたか。形だけは宗教に帰依した政治家は何人もいるでしょうけど。私がサダトを惜しむのはそういう彼の人格というか、実像を知っていたからなんです。」
葉上照澄師は、イスラム原理主義者の犯行声明の第一の理由がサダト大統領がユダヤ教と握手したことだと聞き、ユダヤ教との和解を進言してきたことから、この受難を決然と受けて立とうと覚悟されモートン師、広瀬静水師とも相談し、日本の宗教者が中心となって、再びシナイ山での共同礼拝を計画されました。
3年後の昭和59年(1984)3月、ようやくこの計画が実現し、アメリカ、エジプト、パレスチナ、日本からユダヤ教、キリスト教、イスラム、神道、仏教の同志130名がラハの聖地に結集しました。日本からは名誉団長に葉上照澄師、団長に副島広之師、広瀬静水師、中山寺の池田瑩輝師ら一行30名が参加されました。エジプトの兵が自動小銃をもって礼拝式典の終わるまで警備するという厳しい状況の中での、まさに命がけの平和への礼拝式であったそうです。
アラブ世界が民主化の波にもまれ、その気に乗じてイスラム原理主義が台頭しようとする、いまこそ、サダト大統領が命をかけた、そして世界の宗教者が命がけでサダト大統領の勇気と偉業をたたえ、平和への祈りと誓いをたてたラハの広場での礼拝式を忘れてはならないと思います。歴史の歯車を逆行させないために。
*参考文献 「願心―わが人生を語る」葉上照澄著 宝蔵館
論文「イスラム教徒日本の宗教との対話」杉谷義純
論文「万聖の大集会への道」広瀬静水
