モンゴル滞在記 1
”モンゴル児童支援”
左からバトバヤル事務局長(通称バギーさん)、 ガンオルチ夫妻、バギ運転手

モンゴルに朝が来たぁ~
モンゴルは寒かったぁ~
まるでウルルン滞在記のような朝を迎えた。
モンゴルに入国して3日目、今日は12月23日である。モンゴルセンターには青松会・直心会・青年部の皆さん方からのカンパによって購入された文房具がたくさん積まれている。
それをモンゴル西南の県の小学校に届ける旅がいま始まるのだ。
車両は三菱デリカ1台、もちろん4駆である。このデリカにノート9箱1620冊、鉛筆7箱5040本、ケシゴム200個、封筒1500枚を満載して出発する。同行するのは、人類愛善会モンゴルセンターの事務局長バトバヤルさん、通称バギーさんと呼ばれている。流ちょうな日本語を話す、日本人よりも日本をよく知る不思議な青年(中年?)である。旅行業と輸出入業、ブロック製造業を経営するETT社の社長さんでもある。
ETT社のHP http://www.ecotrade-travel.mn/
運転手は同じ名前のバギさん。この人はETT社の従業員さんで、ETT社専務アンハさんの弟さんである。運転はプロ級の腕前で、モンゴルの大雪原を時速100キロ以上でぶっ飛ばす走り屋でもある。ちょっと長州小力に似ているのが可笑しい。ケンカがすごく強いらしいが、親分のバギー事務局長には絶対服従のモンゴル男児である。
今回の旅の案内役はガンオルチさん夫妻が務めてくれる。夫妻は自分の生まれ育った村の小学校へ案内をしてくれるのだ。このガンオルチさん夫妻を我々に紹介してくれたのは、モンゴルセンターの理事のバトツェレグさんだ。バトツェレグさんはモンゴル国の文部大臣顧問をしている元国会議員の方である。この方が各地の小学校の校長に「人類愛善会が文房具を届けに行くから、ちゃんと受け入れをするように」と連絡を入れてくれているので、各地での贈呈活動がスムースにいくのだ。センターにとって大変貴重な方である。
5人を乗せた三菱デリカがモンゴルの大草原を時速80キロで疾走する。
(写真/ 走ってきた道を振り返る)
モンゴルは人口約250万人、国土は日本の約4倍である。首都はウランバートル(赤い英雄の意味)で、この近郊に約150万人が集まっているので非常に人口密度が高い。あとの100万人が残りの広大な土地に点在して住んでいる。まさしく過疎地である。
言語はモンゴル語。モンゴル人は日本人とよく似ているのでどちらの国の人かは一見して見分けはつかない。現政治体制は共和制をとっている。96年に社会主義体制から民主資本主義体制に移行し、経済の自由化、会社の民営化等は急速に進んだが同時に経済の混乱も招き、現在はその混乱もやや落ち着きを取り戻した状態であるという。ウランバートルは現在建設ラッシュで、あちこちでビルが建設されている。都市部の若者たちのほとんどが携帯電話を持ち歩いている。この風景は日本と変わらない。
ウランバートルから30分も走れば、そこはすでに大草原である。見渡す限り何もない。遙かに山が見えるだけである。おちゃめなバギーさんは「山田さん 途中で車がエンコしたら野宿だよ。そしたら夜はマイナス50度だよ。死んじゃうよ。覚悟はできている?」と笑いながら脅かす。「まぁなんとかなるよ」と言いながらも、この人たちに命を預けるしか手段は無いのである。
(写真/周りはこんな感じ)
ウランバートルの電力と熱源供給は2基の石炭火力発電所が担っている。この発電所が市内の全家庭に電力と温水を供給している。よって市内のほとんどの家庭は温水暖房・温水給湯である。この時期ウランバートルは日中マイナス 10度、夜はマイナス20度にもなるが、室内は各部屋20~25度と極めて快適な室温に保たれていて日本の家屋よりも暖かい。ちょうど北海道の家と同じである。しかし石炭の火力発電は大気汚染がひどく、その排煙はモンゴルの自然環境を破壊しているが、これがモンゴルの人々の生命線ともなっているので仕方がない。
また給湯が行われていない郊外のゲル(モンゴルの移動式住居)の暖房は、薪か石炭をストーブで焚いている。このゲル集落が市内を取り囲んでいるので、特に石炭の煙が市内に流れ込み大変な公害となっている。煙の臭いがひどく10メートル先が見えないこともある。これが冬の期間続くので煙で喉や眼がやられてしまう。特に子どもたちの喘息や咳がひどいらしい。教科書で読んだ産業革命時のイギリスの状況である。これは何とかしなくてはならない。
そのようなスモッグのウランバートル市を抜け出し、車は大草原をひた走る。
(写真/ はてしない道)
順調に車は走っていたが、午後3時過ぎに車が急に止まる。バギーさんが「山田さん、大変だよ。車の燃料無くなったよ」と言い出す。
ここは大草原のど真ん中である。
「えぇ~」と驚いていると、運転手が携行タンクを取り出し軽油を給油している。バギーさんのおちゃめぶりにも困ったものである。
軽油はリッター90円程度、あまり日本と変わらない。ガソリンは80円くらい。モンゴルではガソリンより軽油の方が高価である。これは軽油の方が公害を出すからわざと高価格にしているようである。給油を終えたデリカは太陽の沈む方角向けてまた走る。

約500キロ走った所で、最初の目的地であるウブルハンガ県の国立メルゲド小学校に到着した。(写真右/ 小学校の玄関)
モンゴルの教育システムは、小学校から中学・高校まで一貫教育の義務教育である。
普通教育課程は11年あり、その後は大学か専門学校への進学か就職を選択する。授業料は完全無料、義務教育の就学率は99パーセント。国はまだまだ貧しいが先進国と肩を並べる教育制度がある。
高校卒業後の大学進学率は5割を超えるというが、大学を卒業しても学んだ専門知識を活用できる就職先が無いのである。高学歴の若者が市場や工事現場で肉体労働をして生活をしているのが実態で、ここにモンゴル社会の大きな問題があるという。 また子どもたちは元気に学校に通うが、日本のように給食制度は無い。食事を与えるのは親の義務であるので1日2食が普通であり、朝・晩はたくさん食べるのである。主食は牛・羊・馬肉などであり、野菜はあまり食べない。厳寒な気候が7ヶ月間も続くので国内では野菜生産が満足に出来ないのである。ビタミン類はチーズ・バターに似た乳製品から採っている。これでは栄養状態は決して良いとは言えず、ビタミン・ミネラル類の摂取不足によりモンゴルの平均寿命は60歳前後という。
モンゴルでは40歳が人生のピークで50代は老後であると言われている。その低い寿命は冬の過酷な自然環境も影響しているのだろう。
そのような社会問題を多く抱えているモンゴルだが、そんなことに全く関心のない子どもたちは、礼儀正しく素直で純朴である。いまの日本の子供には見られないキラキラした美しい瞳で私たちを迎えてくれる。子どもたちの笑顔を見ていると心が洗われるようだ。
訪問したメルゲド小学校は、1998年の創立、国立の小学校である。学年は小学1年から中学11年まであり、在校生は650名、教師数は34人である。ここは岡山県教育委員会が提携・支援している小学校で、小学2年生から卒業まで日本語教育が行われている。ここの生徒たちの優秀な子30人ほどが、毎年岡山県に招かれているという。たいへん日本語教育が熱心な小学校である。
文房具を持って小学校に入ると「大丈夫ですか。お荷物お持ちいたしましょうか」と、若い女性から声を掛けられる。日本人かと思うほど流ちょうな日本語である。日本語教師のドラムスレン先生である。
先生は東京外語大学に2年間留学経験がある才女で、東京外語を卒業後モンゴルに帰国して生徒達に正しい日本語を教えている。敬語を正しく教えているので、子供の会話にしては少々違和感があるが、でもこれが正しい日本語である。いまの日本の学校がおかしいのだ。
写真右/ ドラムスレン先生 才女である
各教室には、日本語の張り紙が壁中に張られており、生徒達の熱心さが伝わってくる。
校舎を歩くたびに子どもたちから日本語で「こんにちは」「お元気ですか」と話しかけられる。なぜか私はモンゴル語で「ザー(はい)」と答えてしまうのが可笑しい。
写真下/先生は子どもたちの人気者
早速、2年生の教室に入り、先生達の協力を得ながら、文房具の仕分け作業を行う。ここでは低学年1年~3年生の200 人分の文房具を配ることにする。仕分け作業を生徒達にも手伝ってもらい、ようやく子どもたちに文房具をプレゼントする。まず最初に子どもたちに我々の紹介から始める。
「私は日本から来ました。日本から皆さんにプレゼントを持ってきました。それはノートと鉛筆です。この文房具で一生懸命勉強して立派な人になってください」
子どもたち 「ザー(はい)」
「私たちは人類愛善会の人たちです。人類愛善会の事務所はウランバートルにあります。
人類愛善会はモンゴルのいろいろな小学校を訪問して、子どもたちに文房具をプレゼントして、皆さんの勉強の応援をしています。この文房具で一生懸命勉強して立派な人になって、モンゴルをいま以上に立派な国にしてください。」
子どもたち 「ザー(はい)」
バギーさんの子供を引きつける通訳のおかげで、子どもたちにもこちらの思いが伝わったようだ。


両手を机に置くのは「気をつけ」の姿勢
文房具を一人一人に手渡すと、どの子供も「バイルラッ(ありがとう)」と答え、満面の笑みだったり、恥ずかしそうだったり、子どもたちの純真な心がこちらに伝わってくる。今は人類愛善会モンゴルセンターの一員として文房具を配っているが、この文房具の資金をカンパいただいている青松会・直心会・青年部の皆さんにも、ぜひともモンゴルに来ていただいて、直接子どもたちに文房具をプレゼントして頂きたい。私が代理では何か申し訳ない気持ちがする。
写真右/ タブハイ校長
5クラスを周り、文房具を配り終えると、学校長室に招かれタブハイ学校長から感謝の言葉を頂く。「こうやって日本から文房具をプレゼント下さることは望外の喜びです。子どもたちの日本語の勉強も今まで以上に熱が入るでしょう」と感謝される。人類愛善会のバッチを渡すと、「今後も皆さま方の活動に協力しましょう。今後の旅の安全と成功をお祈りします」と話される。
写真下/髪を編んだおしゃれな女の子
モンゴルの日の入りは早い。
時刻は午後5時30分を回った。もう一つの小学校に急がないと日が暮れてしまう。モンゴルは緯度が高く、日の出が午前8時半頃、日の入りが午後5 時半頃である。冬期は日本と時差が1時間あるので、モンゴルの時間に1時間をプラスすれば日本時間となる。
午後6時に次の小学校に到着する。ここは第一小中学校。3500人の生徒数、150人の教師がいるマンモス校である。ここの小学校のキャパは1200人分しかなく、しかたなく生徒達は3交代制で授業を受けている。この日は、新たな校舎が完成した日で式典を終えたばかりという。先生達は、新校舎の完成と日本のお客さんの訪問と、おめでたいことが2つも重なりましたと歓迎してくれる。いまはちょうど3回目の授業中が行われている最中である。しかし生徒数に比べ持参した文房具が全然足りない。まさかこんな田舎にこのようなマンモス校があるとは想像できなかったのだ。ここでも仕方なしに1年生のみ400人分を配ることにとする。
写真右/ 第一小中学校
クリスマスパーティーの準備中
女性のオトゴン学校長に挨拶した後、ここでも先生達の協力を得ながら文房具の仕分けをし、子どもたちの教室を訪問する。ここでは7クラスを回らなければならない。オトゴン学校長が「みなさん、日本からのお客さんですよ」と声を掛けてくれる。いつものように、バギーさんの通訳で愛善会の紹介をして文房具を配る。子どもたちは真剣に話を聞いてくれる。
写真/ カメラを向けると緊張する子どもたち
文房具を配り終えると、文房具を贈ってくれたお返しにと、子どもたちが作った作品をプレゼントしてくれる。恥ずかしそうにプレゼントを渡してくる女の子に握手をしてプレゼントを受け取る。子どもたちの気持ちがうれしい。
子どもたちのプレゼント責めにひとつひとつ感謝しながら教室を回り終える。お別れにオトゴン学校長にも愛善会のバッチとパンフレットを渡し「先生がこのバッチをずっと付けていたら、またここに文房具を持って来るでしょう」と冗談を言うと、先生は笑いながら「わかりました。バトツェレグ先生から人類愛善会のことは詳しく聞いています。バトツェレグ先生はここの卒業生で我が学校の誇りです。私も出来る限りのお手伝いをしましょう」と答えてくださる。
いろいろなご縁が次々と出来ていくのが有り難い
。
写真/ 子どもたちのプレゼント 葉っぱで作った動物
日も暮れたので、本日の学校訪問は以上で終わりにして、案内人のガンオチルさんの親戚のガンバートルさんのゲル(家)(写真下)で夕食をご馳走になることにする。
モンゴルの習慣では、いつでもどんな人でも訪問者を決して拒むことはない。大草原では隣のゲルまで100キロ以上の距離があることもある。ましてやこの極寒である。訪問者を追い返すことは訪問者を殺してしまうことになってしまうのだ。
困ったときはお互い様である。モンゴルの人々は訪問者を自分の家族同様に、いやそれ以上にもてなすのだ。
写真右下/高倉健似のガンバートルさんと息子・娘

ゲルに入ると一番奥に主人が座っている。笑顔で握手を交わす。主人に向かって左が客人の席だ。座ると奥さんがまず乳茶を勧める。乳茶は砂糖を入れないミルクティーと思えばよい。乳茶を飲み身体が暖まった頃にボイルした肉がドカンと出てくる。肉の種類は家によってまちまちだが、牛肉・羊肉・馬肉・猪肉を岩塩でボイルしただけの素朴な料理である。それがアルミの洗面器のような大きな器にドカンと出てくる。それをナイフで肉を削ぎながら手で食べるのである。
客人には、今家にある最高の食材でもてなす。高級な牛肉で出る家もあれば、堅い馬肉の家もある。しかしこれが家々の最高のもてなしであり、持てる食材を惜しみなく振る舞うのである。
日本には「京都のお茶漬け」という言葉があるが、ここモンゴルには無縁の言葉である。精一杯のもてなしに感謝して肉をほおばると、次に小龍包が出てくる。小ぶりだが肉汁が一杯詰まっており、うまい。
しかし日本人は5~6個も食べればお腹がふくれるが、モンゴル人は10個~15個は食べてしまう。私も主人から「もっと食え、もっと食え」と勧められてまいってしまった。野菜はキュウリやニンジンの瓶詰めピクルスや小さなミカン、リンゴが出される。野菜はいたって少ない。ピクルスの味は最高である。ぜひ日本のおみやげにしたいと思った。付け合わせにモンゴル風のバターとヨーグルトがある。乳製品は豊富である。これでビタミンを補給するのだ。
写真は朝ご飯。うんと控えめな量。
晩は3倍以上の量が出る。朝からウォッカを勧められる。
食事の合間には、ウォッカのもてなしがある。主人がぐい飲みにウォッカを注ぎ、客人に渡す。それを左手で右手のひじを下から持ち右手で杯をッ取る。これがモンゴルで酒杯を受け取る時の礼儀である。
そして、右手の薬指をウォッカに浸し、ウォッカを3回空中に弾く。これは神々にウォッカを捧げ、神に感謝するのである。モンゴルの人々は自然の偉大さ・怖さ・有り難さをよく知っているので決して神への感謝を忘れない。大本人でいうと三首のお歌である。同じように神様に感謝しながら、主人にも感謝しながらウォッカを頂く。バギーさんが言うには、「ウォッカを飲むと、肉の脂がスッと流れますよ。ウォッカは肉の消化を助けてくれます」。
なるほどこれは肉に合う、実にうまい。日本ではあまりウォッカは飲まないし、肉料理と合わせるとは馴染みのない飲み方だが、モンゴルではこれが一番だ。主人の勧められるまま飲んでいると1本2本は空けてしまう。明日があるので遠慮するが、主人が満面の笑みで杯を勧めるとついつい飲んでしまう。
息子さんの歌の披露
酒宴も進むと、息子が歌を歌ってくれるという。この家族にも文房具をプレゼントしたのでそのお礼だという。この村ののど自慢コンテストで2番になったという自慢の歌声だ。遠く離れたお母さんを思う歌詞だそうだ。なかなかの歌声である。
酒宴は夜遅く(といっても10時頃)まで続いたが、明日もあるのでガンオルチ夫妻を残しこの家を辞去する。主人から泊まって行けと勧められるが遠慮することにした。ガンオルチ夫妻もこの親戚を1年ぶりに訪ねている。これから親戚だけの水入らずの宴会が始まるだろう。バギー事務局長、バギ運転手のわれわれ3人は、村の中のホテルに泊まることにする。ホテルと言っても名ばかりで、「まぁ寝られたらいい」といった感じの宿である。でも外はマイナス20度、贅沢などは言ってはいられない。「感謝、感謝」といいながら毛布を被る。
12月23日の旅はここで終わったぁ~。モンゴルの人たちは温かだったぁ~。(ウルルン調で)
※このサイトに掲載されている文章、写真などの無断転載・ 無断複製を禁じます。