2012年春号 of aizenkai

《主張》
人類愛善新聞2012年春号

長寿を喜ぶ社会に

「尊厳死」法制化反対



 大本・人類愛善会は「尊厳死」法制化に反対する。
 日本は高度医療の普及もあって、世界一の長寿国となった。その日本で終末期医療に「尊厳死」法制化を認めるかどうかが問題になっている。
 「尊厳死」が、文字通り尊厳ある生を全うして最後の死を迎えるという意味であれば、誰も異論はないであろう。
 しかし、「尊厳死」法制化では患者の意思表示があればもちろんのこと、なくても、医療側の判断で生命を維持する医療行為を中断したりして、患者の死期を早めることを「尊厳死」と呼び、「尊厳死」させた医療側に民事、刑事上の責任を負わせない法律を制定することを目的としている。これには重大な問題がある。
 一つには、患者の意思表示や医療側の判断が適正に行われるかどうかだ。今、日本では財政や経済などあらゆる場面で効率化や能率化が追求されている。
 患者は、この効率ばかりを追求する社会から疎外され、肩身の狭い思いの中にいる。目に見えない圧力を受けているといってよいであろう。中でも高齢者は社会に役立たないという負い目に襲われがちである。家族や周囲に迷惑をかけるという気遣いが、医療行為継続の願いにブレーキをかけてしまう。本心では回復して長生きしたいにもかかわらず、「死にたい」ともらすことが、医療行為を中断する理由にされかねない。
 医療側にも経営的に効率の悪い医療を許さない雰囲気が強い。特に患者の意思表示がない場合、医療側の判断は「尊厳死」選択に傾くであろう。植物状態の患者の場合、高い確率で意識回復する実態が判明してきたといわれるが、本人や家族がその実態を知らされないままに意思表示を迫られるのは不公正であろう。医療側にも、他人の死期を左右する判断が認められるのを是とする思い上がりはないだろうか。
 二つには、法制化が個別具体的な「尊厳死」のケースを逐一列挙できるわけではなく、画一化、マニュアル化は避けられないということがある。その結果、医療側に「尊厳死」判断を委ねるケースが増すであろう。
 脳死臓器移植法の制定や改定時の国会審議のお粗末さ、その後の移植実態の隠蔽密室化の進行状況は目に余るものがある。今回も国の総医療費圧縮の狙いが見え隠れしている。
 そもそも、人間は自分の意思で生まれたのではない。授けられた、あるいは与えられた生命を生きている。自己決定権として、人間の終期や終わり方を選択できると考えるのは、自殺する権利を認めるのに等しく、人間の思い上がりもはなはだしい。生命倫理の観点から、「尊厳死」法制化は根本において間違っていると言わざるを得ない。
 出口紅人類愛善会総裁は、神が目指す「みろくの世(理想世界)になれば、『人間の寿命は長くなる』と教えられており、寿命が延びることはむしろありがたいことであると思います。高齢化を問題視するのではなく、ご高齢の方々がいつまでもお元気で、尊ばれる社会の実現に力を注がせていただくことが皆様の〝生きがい〟にも繋がっていくことと思います」(「週刊仏教タイムス」平成24年1月12日発行)と述べている。
 死を手助けする法律は悪法である。「尊厳死」法制化ではなく、長寿を喜ぶ社会を実現しなければならない。 

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